私は三菱養和巣鴨ジュニアユースとユース(ユースに上がれたものの、レベルについていけずに途中で退団)で現役時代はプレーしました。
私の代は歴代養和の中では弱かったですが(それでも都大会準優勝しました)、1つ上の代は、高窓宮杯で全国優勝しています。
その代からはプロ4人と、フットサル日本代表が出ました。
それでも、残念ですがどなたもJ1ではレギュラーを取れなかったようです。
2代上は、そこまで強くありませんでした。
ですがその代から元日本代表の永井雄一郎さんが出ました。
中学時代に1つ上の代の先輩と、2つ上の代の永井さんを見ていて、総合的には1つ上の代の先輩方のほうがうまく私には見えました。
ですので後年、永井さんが日本代表にまでなったのは失礼ながら意外でした。
ですが思い出してみると、納得できる部分もあるのでした。
そんなことを書いてみたいと思います。
まず、身も蓋もない話ですが、永井さんは身体能力が化け物でした。
合宿で山道ダッシュをやると、一人だけダントツで先を走っています。本物の化け物だと思いました。
私は永井さんの身体能力の印象が強烈にあり、特に低学年のコーチをやるときは「鬼ごっこ系」を意識して多く取り入れるようにしています。
いつもブログでマニアックなことを書いている通り、技術を追求したい気持ちもあるのですが、結局はまずフィジカルを上げることだよなと思ってしまうのです。
それで小学生のうちは、神経系を鍛える意味でも鬼ごっこかなと思い、けっこう長い時間鬼ごっこをやっています。
次に、個性がある、ということでしょうか。
1つ上の先輩方は、パスよしドリブルよしといった感じで、とにかく総合的にうまい人が多かったです。だからこそ全国優勝できたのでしょう。
ですが永井さんは一人だけ違いました。
ボールを持ったら必ずドリブルで仕掛けるのです。
練習で一緒のチームでプレーしたりすると、一人だけ考えていることが違う感じでした。
そう思うと、小学生の頃にその子がこだわってやっていることは、多少うまく行かない時期が続いても、我慢して見守ることも必要なのかなと思います。
そして、永井さんは努力の塊のような人だった、ということです。
私が中2中3でジュニアユースのとき、永井さんはユースでした。
ジュニアユースは5時30分練習開始、ユースは7時開始だったと思います。
私がジュニアユースの練習に参加するため5時20分頃グラウンドに立つと、永井さんはすでにいるのです。
そして一人で黙々と自主練をしているのです。
グラウンドにいないときは、筋トレルームで筋トレをしていました。
よく紹介している↓を、毎日やっていたように記憶しています。
この練習を小学生からやっているというのですから、どれだけドリブル練習をやってきたのでしょうか。その努力量を私は尊敬しています。
そして、元々才能がある人がこれだけ努力すれば、それは上にいくよなと思ったのでした。
最後に、人間性が素晴らしいということです。
とにかく永井さんは親切な先輩でした。
どう考えても、練習で私が永井さんと同じチームになったとき足を引っ張ることしかしていないのですが、ミスに怒られたことはないですし、むしろ「〇〇(私の名前)今のこうしたほうがいいよ」と声をかけてくれました。いいプレーには「今のいいね!」と声をかけてくれます。
↑動画練習も、親切にも実演しながら教えてくれました。
今思うと、なんと贅沢なレッスンだったでしょうか(笑)。
ただ、養和は親切な人ばかりだった印象なので永井さんに限った話ではないかもしれませんが、それでも強烈に永井さんの親切は今でも覚えています。
サッカーはチームスポーツですので、なにかそういった「人間性」みたいなものも、上にいくには大事なのではないでしょうか。