前回のブログコメントに、医学部仲間のDD君からコメントが。
というか、昨日はラインに連絡+ブログにコメントって、どんだけ俺のことが好きなんですか(笑)。
冗談はさておき、DD君はまさに「戦友」である。
北京大学行きの準備段階である中国語の留学学校で初めて彼に会ったので、付き合いはもう10年くらいになる。出会った頃は精悍な若者だった彼も今や30歳を超えたおっさんである。ということは、当時30代だった私は40歳を過ぎたおっさんである。
年齢の差って永遠に縮まらないのが悲しいところだ。
北京という土地では、なぜか人の本性がはっきり出るように思う。
試験前に資料があると、分け隔てなく周りに回す人、自分で囲い込む人、「誰々には回すな」という司令付きで回す人、、、本当にいろいろな人がいた。
そんななか、DD君はみんなに回すのをリーダーとしてやってくれていた。
感謝である。
ただ、そんな思い出よりも彼との思い出は、笑える話ばかりだった。
あるとき、『社会主義』という、なんだか恐ろしい串焼き屋に二人でいった。
昆虫の串があったので注文したが、私は食べたくなかった。
彼はやたら「〇〇さん、本当に食べないんですか、あーうまいな、こんなにうまいのを食べないなんてもったいないなー」と散々私を煽ってくる。
翌日彼は講義を欠席した。
腹を壊したらしい。
人を散々煽っておいて、昆虫で腹を壊して欠席、、、(笑)。はははのは。
腹痛で苦しむ彼の前で大笑いしたのは言うまでもない。
私が北京の寮から普通の北京のアパートに引っ越した日のこと。
引っ越し祝いに彼を含めて友人が集まってくれた。みんなで飲み会。
しこたま飲んで翌朝起きると、ベッドの隣にはDD君が!
新居のベッドで初めて一緒に寝たのはかわいい女の子、、、ではなくて、むさ苦しい筋肉質の男であった。
私は「なんでDDが新居の初日に、よりによって同じベッドで寝ているんだよ、、、」と呻いた。
すると彼は心底嬉しそうな顔で「〇〇さーん、最高じゃないすかー」と言うのであった。
なんだそりゃ、、、。
彼は沖縄出身だが、沖縄の人は彼のような人が多いような気がする。
沖縄の人はあまりに大らかすぎて、なにか私が悩んでいたりすると馬鹿らしくなってくる。それだけ人間としての器が大きいのかもしれない。
彼は本当に親切な男だ。
北京時代、私は中国語の会話が上達しなくて苦悶していた。
DD君に相談してみた。
するとしばらくして、「〇〇さん、2人で飲みましょう」と誘ってくる。
わざわざうちの近所の飯屋まで来てくれた。
そして飲み始めると「〇〇さん、いろいろ考えたんですけど、△△試したらどうでしょうか」と、いくつもの中国語が上達するための案を出してくれて、一緒になって考えてくれた。本当に親切な男だと、心底感激した。
彼とは勉強ではしのぎを削り合ったライバルだった。
私達は成績トップを競い合う位置にいて、いつも試験の勝ち負けで一喜一憂していた。
ただDD君よ、成績では私の勝利に終わったようだ、はははのは。
コロナがあり帰国を余儀なくされ、私は東京に、DD君は沖縄に帰り、しばらく会うことはなくなった。
ただ去年、彼が東京の病院に実習に来ていたので、やたら一緒に飲みにいった。
去年1年で5回飲みにいった気がする。
DD君よ、奥さんとかわいい子どもが沖縄にいて暇なのはわかるが、さすがに一緒に飲みすぎだろ(笑)!
しかも『君たちはどう生きるか』を一緒に見に行きましょうと、やたら誘ってくる。
あんまり面白いという評判は聞かないし、何が悲しくて、おっさん2人で映画に行かなければならんのか(笑)。
そんなDD君も、4月からは研修医。
私は心から彼の医師人生の幸運を祈っている。
DD君ほど優秀でタフで、そして何より本当に心優しい人間はなかなかいないと思っている。
北京大学で苦しいときを一緒に乗り越えたからこそわかる。
人は苦しいときに、2種類に分かれる。
人を蹴落としてでも自分が助かろうと思うか、一緒に苦しみを共有するか。
彼は間違いなく後者の人間だった。
自分は体調以外にもいろいろあり、もしかしたらもうちょっと医師国家試験への勉強は遅れるかもしれない。
それでも絶対に近いうちに試験に合格して、DD君に追いつくつもりだ。
というよりも、自分が医師になろうがなるまいが、DD君とは本当の友達だと思っている。
沖縄に帰ったから、しばらく会えないかもしれない。
だけど医師をやっていれば、ちょくちょく学会等で東京に来ることはあるだろう。
またそのときは酒を飲み交わそう。
DD君、4月から頑張れ!
健闘を祈る!
DD君のブログを紹介させてもらいます。