最近、子供への教育に早期英語と言うのをよく聞きます。


これは、個人的意見ですが


ネイティブ英語を身につけるために未就園児から英語に力を入れるご家庭が増えたのですが、日本語もろくに話せないのに英語?と、疑問に思いながらも、小5の子が英検一級に合格したとか、都内でも港区や千代田区あたりの会場に準1級を受けに行ったところ小学生がけっこういた。といった話もちらほら聞きます。


“虎に翼”の寅子流に言えば


はて?

英検1級と言えば、和訳したときの日本語も相当難易度の高い熟語もある。その意味をわかっていて答えているのだろうか?

と、普通に考えますよね。


おそらく、小学生で英検1級に合格する子は、母語が英語なんです。将来は英語圏に住むならいいでしょう。そうでなければ、日本語があやふやでは日本でのエリートとは言えません。


うちの上の子が中高で通っていた英語塾で宿題を出されたときの話ですが、プリントにある英文を和訳するものだったらしく、わからない単語を調べながら和訳していて


は?

日本語がわからないんだけどー


と、言いながら何とかその宿題をやり終え塾にいったところ、そのプリントは某Ivy大学の物理学者のレポートだったそうです。もちろん物理系の内容というのは理解できても、単語を調べても予想ができない日本語の文章ということです。


ちょっと自慢っぽくなりますが

この上の子は、東大模試の現文だけは全国2桁以内の成績で読むことも書くことも、ともかく好きすぎて…といった子ですが、


『日本語を知らないってことはこういうことか…』


と、笑いながらも妙に納得してた我が子を思い出します。


そして、親の私はというと、国語はともかく苦手でした。その私が自分の子と話をしていると、他人の話や文章に対しての理解度の速さが全く違うんです。小3から小6の4年間で学校の図書室で借りた本はざっと400冊。その他にも購入した本などを加えると相当な数となります。私がやったことと言えば2歳から月齢に合わせた絵本を毎月2冊づつ購入し、毎日寝るときに読み聞かせをしたぐらいなもんでした。もちろん中学からの英語塾は大学受験向けの塾のため、和訳英訳中心の塾から難関国立大受験の英語にはめっぽう強かったのは確かです。


では、それじゃあ世界では通用しないのか?


という話になりますが、例えば世界に通用するエリートと言われる人達は、ネイティブ英語が話せれば通用するのか?と言えばNOです。


それならば、英語圏の人達は全員エリートということになります。


やはり、優秀な人達は母語はもちろんのこと、文系だろうが理系だろうが、数学的な論理的思考力、自国の歴史、世界史、生物化学物理…等々、幅広い知識を兼ね備えてるからこそエリートと言われるのです。


また、数学に必要な論理的思考力は国語力にも影響します。文章の道筋(起承転結)を考えなければいけませんから。ですので文系でも数学捨ての受験生と数学ありきの受験生では全く違うのがこれです。


だから、東大受験が凄いのは

理系だろうが医学部だろうが、文系同様の現文、古漢も出題され、文系の数学は、東大理系レベルの数学が半分出るほどの難易度。地歴はオール論述記述問題とくる。だから東大が凄いとは言うのはそこなんです。そして、これらの知識をまんべんなく兼ね備えているからこそ話をするととても面白い。どんな会話でも知識の引き出しの数も相当なものから、常に論理的に説明ができるため、無駄な感情に振り回されずにすむ。


こういう人達を見ていると、もっと勉強しておけばよかった…と、いつも思うのですが、こういう人達は必要に迫られば英語もそれなりに習得してしまいます。


そんなわけで、早期英語はどうなんだ?と思うのです。


真面目な話になりましたが、知識だけでも英語だけでも社会では戦えません。得た知識をどう使うかです。そこには経験も必要で、優れた研究者達は、たくさんの失敗を得て成功を導き出しますし、芸術家達は作品を創り、音楽家達は楽器を演奏し、その経験を積むからこそ素晴らしい演奏となる。そこには必ず基礎知識たるものがあり、それなしではなし得ません。楽譜読めなくて演奏ができるのか?科学記号すら知らずに研究ができるのか?色の三原色すらわからずに絵が書けるのか?と、いうことです。


知識を蓄える左脳と感覚の右脳が上手く交信するからこそ素晴らしい結果となるわけです。


そして、生まれ持った才能は右脳です。この右脳は、先祖代々受け継がれてきた遺伝子の結集です。芸術や音楽が得意な子は、祖父母ではなくても先祖を辿ると長けた人がいるはずです。スポーツでは球技が得意な子は生まれ持った才能があるとジムのトレーナーに聞かされたことがあります。


それじゃあ、勉強は?というと

これも集中力のある子と言うならば、1つの特分野と言うことになるだろうし、負けず嫌いさが勉強に現れるのだとすれば、その気質も遺伝的なものはある。また記憶力もそれで、10の努力で覚えるのを、同じ覚えるのに100の努力が必要な子もいる。これらは右脳です。記憶したものを蓄えておくのは左脳で、得意、負けず嫌い、記憶しようとする意欲、感受性等々は右脳です。


ですので、五体満足で人並みのことが普通にできるならば、ご先祖様への感謝を忘れてはいけません。


最近ついてないなぁ…と思うことがあるなら、お墓参りをするといいと言うのもこれです。


鑑定を依頼されたとき、こと如くついてないと感じたときは、お墓参りに行くようによく言いますが、遠くてすぐに行けないときは、自宅に父方と母方の○○家御先祖様と2つ書いて、ろうそくに火を灯し、お水を供え、お線香を焚いて手を合わせ、○○家、○○家の御先祖様ありがとうございます。とだけ言って手を合わせてください。


と、よく言ってます。


己の魂(ソフト)の入れ物となる身体(ハード)は、両親なくてはなかったわけで、右脳は先祖代々からのDNAの結集となれば、働いてご飯が食べられて勉強ができる今の自分は、御先祖様や親の誰が欠けても存在せず、魂だけならご飯も食べられませんからね。スマホやPCから色んな情報を得る行為も身体(健康なハード)がなければできません。自分を表現するには身体というハードが必要不可欠なのです。


そんなわけで

ぜひ、ご先祖様に

『ありがとう』と感謝の言葉を述べてみてください。



【国連では…】

国連のマイノリティ問題特別報告者のフェルナンド・デ・ヴァレンネス氏は3月11日、ジュネーブの国連人権理事会で、言語的マイノリティに属する子どもたちには母語による教育を行うべきであるという報告書の概要を報告しました。

 ヴァレンネス特別報告者は、子どもたちに母語で教育を行うことは包摂的で質の高い教育をめざすことだけでなく、すべての子どもたちの人権尊重にとって必要である、と述べました。
 また、マイノリティ言語である母語と、公用語による質の高い教育とを組み合わせることにより、長期的には高い費用対効果となり、退学率の減少や、特に女子の学業成績の著しい向上をもたらすとともに、母語と公用語または多数派言語の両方において識字率と会話力を高め、子どもたちとその家族、そしてコミュニティとの関係性を深めることにつながる、と指摘しました。
 さらに、同特別報告者は、母語で学ぶことで、子どもたちの「『低賃金の仕事と非常に高い失業率に苦しむ人生を送る』というリスクを軽減できる」と主張しました。今回発表された報告書によると、教育に用いられる言語は、マイノリティに属する学生の自己肯定感や発達にも影響を与える可能性があるといいます。また、母語による質の高い公教育について、可能な限り高等教育の段階まで拡大されるべきであり、少なくとも公立大学の教育課程で科目として教えられるよう延長されるべきであると勧告しています。

※ ヒューライツ大阪からの引用