ご訪問ありがとうございます。
こんにちは、花井です。
先日、会社の部署も年齢も違うけど入社は同期のO君の結婚式に出席してきた。本人が変わっているせいか、出席カードに「好きな言葉を書いてください」との一言。常日頃から自戒することしきりなしの御仁はそんなことはないのだろうけど、浮ついた人生を過ごしている身には、ふと悩む始末。
そもそも座右の銘というのが曲者。なんだかその人の格式を試されている風があるからだ。友を選ばば書を読みてではないが、簡単な答えでもしようならば以降相手にされないのではないかと勘繰るのも仕方ない。
そうなると仕方なく真面目に考えてみた。まず思いつくのが一つある。自分の人生の恩人である小説家の郡順史先生のことである。郡先生は葉隠を研究し、士道小説を確立した作家である。その先生から教わったのが、葉隠の一節「端的只今」だ。
「端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。
ここに覚え付き候へば、外に忙しき事もなく、求むることもなし。」
葉隠は死狂いと評されることもあるが、その一番重要なのがこの一念だろう。武士として死ぬべき瞬間に死ぬ覚悟ができるかどうかが、一念を重ねる毎日にある。現代風にすれば、自分がやらなくてはいけない時にやるべきことをやれるように、その一瞬のためにどう生きていくのかが問われているということだ。
郡先生は特攻隊の生き残りだった。その時代だったから戦争で死ぬだろうと確信していたそうだが、それでもやはり死ぬことを覚悟するのは難しかったと呟くように語っていた。葉隠はそんな時に求めるように読んだ一冊だったそうだ。そして郡先生は自身の体験があったからこそ、単純な武士道礼賛者ではなかった。実は葉隠もそうだが、美学の裡に武士の悲哀が隠されている。大きな歯車に押し潰れされそうになりながら、最後は矜持を貫くのがいかに大変であるか。だから侍は自分の生きるべき方向を武士「道」として昇華したのだ。
郡先生が愛したこの「端的只今」を自分は好きである。これこそ座右の銘といっていいのだろう。
では今回と違って不真面目でいいときには、好きな漫画のこの言葉を答えるようにしている。
「トラブル・イズ・マイビジネス」
チャンドラーの小説ではなく(もちろんそこから転用しているのだが)、谷口ジロー・関川夏央の黄金コンビの最高傑作『事件屋稼業』の主人公・シャーク深町のセリフだ。探偵業であるから、何かしらのトラブルがないと相談はこないので当たり前の言葉のようであるが、良い意味でとらえれば困っている人を見捨てない男のポリシーを表現している。もちろんハードボイルドの主人公はそんなことを語らない。深町といい相手役を演じるインテリヤクザ黒崎の「損をしない限り他人に親切」もけだし名言である。
トラブルといえば、最近知った次の言葉も好きだ。
2020年7月に亡くなった公民権運動の闘士ジョン・ルイスの言葉である。ルイスはキング牧師の右腕として、いつも運動の最前線で闘ってきた。逮捕回数は40回以上、警官や反対者から理不尽な暴行を受けることも度々であった。彼の人生を貫いていたのは、次の言葉だ。
「Get in good trouble」
(自分の自由や人の命のためならトラブルに飛び込め:町山智浩氏の意訳)
誰しもトラブルに巻き込まれるのは嫌なものだ。そしてトラブルを起こす人は煙たがられるのが常だ。それでも必要な事や自分が大切にしている価値を守るためにであったら、あえてトラブルに飛び込めとルイスは説いた。
孔子は「50にして天命を知る」を論じたが、花ちゃんはまだ40代。その境地に至っていないのが本音だ。もし天命を知ったとしたら、その時は間違えることなく、臆することなく、勇気と思いやりをもって身を挺することができるのだろうか。日々の一念が試されている。
そしてその瞬間に立ち会った時には、次のように答えたい。
最後に、聖書から一節を紹介する。
人々の嘆きを誰が助けにいくのかと問われたときに、イザヤは端的に一言だけ。
「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」(イザヤ書6章8節)