つい先日、U-NEXTで「じゃりン子チエ チエちゃん奮戦記」全39話を鑑賞しました。

私と「じゃりン子チエ」は、2017年に大阪へ旅行した際、宿泊したゲストハウスに単行本が置いてあったのが始まりです。その時は2冊ほど読んで「おてんば少女のドタバタコメディかと思ったけど、意外とナイーブで抒情的な話なんだな」程度の感想でしたが、後日NETFLIXで劇場版アニメを鑑賞し圧倒され、その感動の勢いのままテレビアニメ全65話も鑑賞。しばらく間があいていましたが、2020年3月にamazon kindleが電子版を10巻無料でリリースしブームが再燃、U-NEXTで未見だった奮戦記を発見…という流れになります。

 

一通り堪能して、ふと思い出しました。

「チエ」以前にもこのような、家族に問題を抱えた大阪の子供の話を見たぞ。

中場利一の小説「岸和田少年愚連隊」と、テレビアニメ「おジャ魔女どれみ」シリーズです。

 

「岸和田少年愚連隊 望郷編」 中場利一 (1998)

シリーズそのものはいわゆるヤンキーもので、半グレとマイルドヤンキーを行ったり来たりしているような青年たちの話ですが、「望郷編」はその青年たちが小学校6年生の時の話。いわゆる「小学生男子」の軽快な会話が楽しい一方、身が縮こまるほどハードな描写も多く、その2面性が辛い一作。

 

「おジャ魔女どれみ」テレビアニメシリーズは1999~2003

魔法少女アニメだけど、内容的には「3年B組金八先生」。

4年にわたるシリーズの中、1年に2~3話程度、大阪弁のキャラクター、あいこちゃんの家族(離婚して父子家庭)を主題にしたエピソードが製作されています。駅の伝言掲示板が登場したり、微妙に連絡が取りづらいあたりが2000年代らしい。

おすすめは「おジャ魔女どれみ#」20話「あいこ涙の再会」

 

3作品とも「大阪弁」「家庭不和」「でもそれに強い心で明るく(多少演技して)向き合う子供」がモチーフになっています。家庭不和を描いた物語そのものはたくさんありますが、標準語の作品(主に児童小説)の場合、大人びた精神の子供が周囲の子供扱いに反発しがちな一方、この3作品の子供たちは年齢より大人びていながらも、子供らしさ(特に母親を慕う気持ち)が残っており、その一方で自分が子供であることを意識した上でわざと無邪気に、無知に振る舞ってみせたりしています。

 

大阪は東京に比べると人情や心の温かさを尊ぶ感覚が強く、「笑い」の文化から空気を読む、キャラを意識するなど客観的な視点を意識した振る舞いが根付いているイメージがあります。その要素を家族ドラマに落とし込むと、『おしん』のような「苦難に耐える子供」の健気な美しさではなく、「周囲のために子供らしく振る舞う子供」のせつなさが浮かびあがってくるのでしょう。

 

寂しい気持ちを表に出さない、頑張っているけど苦労してるように見せない。でもその気配りは親を悲しませるから、元気いっぱいな子供らしく、無邪気に甘えてみせる。といってもしょせん子供なのでふっとその作為が見えたり、子供らしくない部分がなにげない発言に現れてしまったりする。

そのせつなさこそが、この作品たちの魅力なのだと思います。

 

 

 

作品メモ

 

「じゃりン子チエ」はるき悦巳 劇場版アニメは1981年

漫画アクション連載、優れた演出のアニメ、大塚康生や高畑勲が製作に参加、社会的に悪い人がやたら登場するなど、実は「ルパン三世」との共通点が多い作品。まずは劇場版を。

 

 

 

 

離婚して父と娘で生活する児童小説

「優しさごっこ」 今江祥智(1977)

離婚といっても「父と娘の2人暮らし」に焦点を当てた作品なので、雰囲気はほぼ「よつばと!」。この時代には珍しく、離婚を肯定的に描いた作品。

 

離婚して父母の家を行き来する児童小説

「バイバイわたしのおうち」ジャクリーン・ウィルソン(1992)イギリス

ちなみに両家とも再婚して連れ子もいるという状態で、1週間ごとに2つの家庭を行き来するという生活スタイル(まあまあ地獄)。子供にとって大切なのは親ではなく居場所、という考えに基づいた作品。大阪の子供と違い、不満が爆発しています。

 

大阪弁が登場する児童小説
「ビート・キッズ」風野潮(1998)

中学生男子が同級生に誘われ吹奏楽部に入り、音楽の楽しさに目覚める話。続編では友達とバンドを組む。スタンダードな青春小説。