先日、amazon primeにてアニメ「エスパー魔美」全119話を鑑賞しました。

原作は藤子・F・不二雄が1977~1978年に連載していた漫画作品で、アニメはそこから10年後の1987年制作。演出等で活躍した原恵一・本郷みつるは、その後に「クレヨンしんちゃん」を制作し、特に原恵一は劇場版の名作「オトナ帝国の逆襲」「戦国大合戦」を監督しています。

 

エスパー魔美のアニメは、不思議な力を持った女の子のファンタジーSFというより、ごく普通の女の子の日常ものというコンセプトで作られました。魔美ちゃんはあわてんぼうでそそっかしくて、友達と買い食いしたりレコードを買ったりでお金が無くて、あぐらをかいたり下着で寝転がったりお行儀の悪い部分もあり、ろくにやったこともないのに難しい料理を作ろうとして失敗する。まだまだ未熟な成長途上の子供です。

同時期に「めぞん一刻」、その少し前には「うる星やつら」「タッチ」映画なら「風の谷のナウシカ」など、多くの男子を夢中にさせた(男にとって都合の良い特徴が多少強調された)理想の恋人、理想の結婚相手のようなスーパーヒロインがたくさん誕生しました。それが主流になりつつある中で、それに乗る選択肢をあえて捨て、魅力的な女性ではなくどこにでもいる中学生として「エスパー魔美」を作りあげたのは挑戦的だったと思います。

エスパー魔美は、元気なヒーローものというより、ちょっと社会派な学園ドラマやティーン向けの小説のような雰囲気を漂わせています。

原作は殺人や詐欺、自然災害などハードなモチーフが多く、エピソードによっては後味の悪い結末になるものも。しかしアニメ版、特にオリジナルエピソードでは、恋わずらいとか親が自分を子供扱いするとか、小さな困りごとを取りあげた日常的な話が多く、魔美ちゃんはそれを助けるでもなく遠巻きに見守るだけだったり、原作のあるエピソードも過激な表現を避けたり、結末をハッピーエンドに変えるなどの改変がなされたりしています。

 

藤子・F・不二雄らしい爽快な活劇、あるいは彼がたまに見せるダークさを「エスパー魔美」の魅力と感じていた人たちにとっては「女子中学生の日常を丁寧に描く」というアニメの制作コンセプトに多少ズレを感じていたかもしれません。

しかし、漫画原作のあるアニメというのは、まるっきり違う人たちの手で、違う媒体で再構成されることで新たな魅力が生まれる可能性を持っているわけで、そのまま忠実に漫画原作をアニメにするのはあまりにももったいないと思うのです。

 

「エスパー魔美」のアニメは、オリジナルエピソードが多数制作されたことで、魔美と高畑さんのこそばゆい関係性や、気兼ねなく付き合える友達とのじゃれあいなどが瑞々しく描かれており、藤子・F・不二雄が描ききれなかったキャラクターの魅力を120%引き出しています。

 

今日日、素晴らしいアニメと評される作品は、たとえば「鬼滅の刃」のように原作をそのまま忠実に映像化したもの、あるいは細田守や新海誠のような、完全オリジナルストーリーによるものに集中しています。

原作のファンを考慮すればもっともな話ではありますが、それがただひとつの正解ではないはずです。

原作漫画に敬意を払いながら、アニメ作品として独自の面白さを追求するのも同じくらい素晴らしいはず。

 

「エスパー魔美」は魔美ちゃんのヌードモデルのシーンが問題視されているからか、地上波で再放送されるのは望み薄ですが、amazon primeなど動画配信サービスでの視聴が可能です。興味のある方はぜひ。