着物で宿場町を歩く
と聞いて
連想したのが
途中の休憩は「野点」でしょ!
でした
よってわたしの着物姿も
①野点セットを持つ
②手は空ける
この二つを考えた結果
リュックを背負おう!
となりました
その話を計画段階でくまさんにお伝えすると
東海道の鶴見の
「よねまんじゅう」
を入手していてくださるというではありませんか!
ありがたく
たのしみに
お願いしました
東海道はお江戸の日本橋から出発
そうかー
いつか日本橋に行ってみないと
くまさんが「お江戸日本橋」の歌詞には
と書かれていましたが
どんな歌?
と思っていました
そして検索すると・・・
知ってます
知ってます~
はいここから前回の続きです
終点 「遊行寺」
この時点で11:18
藤沢本町9:40ころ出発から
2時間弱
休み休みなのであまり疲れていません
こちらが「遊行寺」の本堂
ガイドさんは
鳥居をくぐる前には
一礼
帰るときにも
一礼
身を持って神社仏閣にお参りする作法を示して下さいました
「私が言うのも変なんですが」と断ってから
お賽銭
を上げることもご助言くださいました
「遊行寺は広かったのですよ」
と説明
「遊行寺」は時宗の総本山だそうです
一遍上人は念仏踊りで浄土にいけるという
新しい布教活動をされた方です
ガイドさんにお聞きしながら
「お手軽に浄土へ行けるんですね!」
とつぶやいた私
一遍上人の銅像を見ながらお話くださった内容
感動して涙が出ました
が
ちゃんと覚えていません
遊行寺
を調べていたら
ガイドさんのお話と合致することを見つけました
熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めたときに
信心が起こらないので受け取れないと拒否された。
自分の布教方法に疑問を持った一遍上人は、すぐに熊野権現の啓示を仰がれる。
すると、熊野権現が現れて
「あなたの勧めによって、すべての人々がはじめて往生するのではない。南無阿弥陀仏ととなえることによってすべての人々が極楽浄土に往生することは、阿弥陀仏が十劫という遠い昔、正しいさとりを得たときに決定しているのである。信心があろうとなかろうと、心が浄らかであろうとなかろうと、人を選ぶことなくその札を配るべきである。」
この熊野権現の神託によって一遍上人は他力本願の深意をさとられた。
時宗ではこの時をもって開宗と定めています。【文永11年(1274)】
全国を歩いて布教の大変さをおもいました
遊行寺は
公家とも武家ともつながりが深いお寺だそうです
これは 紀伊藩主徳川治宝の染筆
ガイドさんは「みなさんお知りにならないかもしれませんが」
といいながら説明してくださいました
知ってる
表千家9代
了々斎は紀州徳川の治宝
の茶頭としてお仕えしているんです
ですから記念に撮影
そして
ガイドの寺田さん
野点にいい場所にご案内下さいます
まずは
宇賀神社へ
こちらには
宇賀弁財天
がいらっしゃいました
お金を洗うと
裕福になる神様なので
銭洗い場
もありました
洗いますよね~
私も洗いました
そして
緋毛氈が敷かれている腰掛けで
野点いかがですか?
のおすすめに従い
池のそばの緋毛氈で点てさせていただきました
皆様にお付き合いいただきまして
感謝
感謝です
(優しい方々で良かった)
まずは
くまさんから
「よねまんじゅう」
が配られます
「よねまんじゅう」
は
先に貼り付けました
「お江戸日本橋」
の歌詞にも登場するお菓子です
東海道中
の
野点には
もってこいです
くまさんは
わざわざこのおまんじゅうを購入しに行ってくださいました
ありがたすぎです
お菓子を先にお召し上がり下さいね!
私は
梅
を選びました
抹茶と小豆
があったはず
↑は間違え
くまさんに教えていただいて
白あんと小豆と梅だそうです
選べるって嬉しいです
茶筅通しをしているあいだ
お召し上がりの方々の感想が聞こえてきます
あんこを食べているみたい
羽二重餅で包まれてますよ
羽二重餅が薄いんですね!
まずは
寺田さんに
お礼を込めた一服を差し上げます
お世話になりました
次
くまさんに
織部の茶盌にて一服差し上げます