去年の記事なのですが、タイムリーにつらい方が多そうなので再UPします。

 

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私はメンタルが弱いのでつらいニュースは絶対に見ないようにしてるのですが、

 

それでも時にはネット上などで、アクシデントのようにうっかり知ってしまうことはあるわけで。

 

 

つい3日ほど前にも、数年前に起きた虐待で幼い子がなくなった事件を知って、ひどく落ち込んだのですが

 

なんとかしてその気持ちに折り合いをつけることができたため、その方法を今日は書きたいと思います。

 

参考になんなかったらすいません。

 

 

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まず大前提として、私はつらいニュースを知ってしまった時には

 

「つらいニュース」というものがあるわけではなく、それを「つらいと思う自分」がいるだけ。

 

と考えるようにしてます。

 

だから今回も、「なぜ自分はこのニュースをつらいと思うんだろう?」ということを、紐解いていったわけです。

 

私の中で、というより世の中の多くの人にとって一番つらいニュースといえばやっぱり、幼い子の無念な死ではないでしょうか。

 

しかし何故そのニュースがこんなにも自分にとってツライのかをじっくり考えてみたところ、

 

原因は結局「自分と他者を同一視しているから」なんじゃないか?という結論に至りました。

 

 

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皆さまは、ヤノマミ族という部族をご存知でしょうか。

 

ヤノマミ族とはブラジル〜ベネズエラ間に拡がる広大なジャングルで暮らし、

 

私たちが持つイメージで語れば「ザ・原住民的」な生活を送っている人々なのですが、

 

 

私は以前、彼らの文化を知った際に、なかなかの衝撃を受けました。

 

それは「赤子の精霊返し」という習慣です。

 

〜以下、wikiより引用〜

 

女子は平均14歳で妊娠・出産する。

出産は森の中で行われ、へその緒がついた状態(=精霊)のまま返すか、人間の子供として育てるかの選択を迫られる。

精霊のまま返すときは、へその緒がついた状態でバナナの葉にくるみ、白アリのアリ塚に放り込む。その後、白アリが食べつくすのを見計らい、そのアリ塚を焼いて精霊になったことを神に報告する。

 

〜引用ここまで〜

 

ヤノマミ族には避妊や人工中絶といった文化がないため、母親が「育てられない」と判断した場合は自らの手で「精霊返し」をすることになっているのですね。

 

んで、私はこの風習を知った時に、あまりにも自分の文化と違いすぎて衝撃は受けたものの、

 

ここで精霊返しの対象となる赤ちゃんを可哀想に思ったり、この文化自体を忌み嫌うべきものと思ったりはしなかったわけです。

 

ただただ、そういう文化で生活してる人たちなんだなぁ。と、受け入れたわけです。

 

 

しかしこれがもし日本国内で、日本人がしたことだったらどうでしょう。

 

私は、親が子どもを殺した的なニュースを見るたびに、その親にとても憤りを感じるし、その子どもをとても可哀想に感じるし、到底許されることではない、といった感情が芽生えます。

 

でもこれっておかしいというか、実はとっても不思議なことなんですよね。

 

どうして私はヤノマミ族なら受け容れられるのに、日本人だと受け容れられないのか。

 

私にとって、その両者の違いとは一体なんなのか。

 

 

「だって日本は避妊の手段も人工中絶の手段も当たり前にある文化なのに・・・それを選ばないのはおかしいから?」

 

って、はじめは思いました。

 

でもここにこそ、大きな落とし穴が存在していたことに気づいたのです。

 

 

それは、

 

私にとっての当たり前が、当たり前じゃない人というのは確実に存在する。

 

ということです。

 

 

単一民族国家で、横並びの精神で育てられた私たちは、ついつい隣にいる人も自分と同じ価値観や正義で生きているものだと勘違いしてしまいます。

 

みんな、同じような文化で同じように育てられているのだから、同じ価値観をもっているに違いない、と決めつけてしまうわけです。

 

しかし一見、同じ価値観をもっているかのように見えて

 

実はヤノマミ族以上に、私とかけ離れた価値感や文化を持っている日本人がいても、それは全く不思議じゃない。

 

 

例え私にとって「許せない!」と思うような行為であったとしても、

 

その人の価値感の中では、特に悪いことではなかった。

 

ただ単に、それよりも優先すべき事情や、その人なりの正義があった。

 

 

「人を動かす」という本に、こんな記述があります。

 

 

1931年に、大勢の人を殺害し逮捕された凶悪犯であるクローレーは獄中で

 

「私の心──それは疲れ果てた心ではあるが、優しい心である。誰ひとり人を傷つけようとは思わぬ心である」

 

ということを、書いていた。

 

「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ」

 

これが、クローレーの最後の言葉であった。この話の要点は、凶悪無類のクローレーでさえ、自分が悪いとは全然思っていなかったということだ。

 

 

私はこれを読んでかなり衝撃を受けたのだけど、それで納得できたこともたくさんあった。

 

犯罪者というのは、罪を犯そうとしているわけではなく、心から悪いと思っていないから犯罪をするのだ。

 

 

私とその人は別の価値感を持ち、別の生活をしている別の人間である以上、

 

その人の事情や正義は、私には決して知り得るものではない。

 

だから何も知らない私が、その人を責めることなど到底できない。

 

 

結局、私はただ単に「自分が思う正義」を振りかざしていただけだし、

 

たまたま私の正義は一般大衆の正義、そして法律と似た方向だったから、私は犯罪を犯さずに済んでいる。

 

ただそれだけだった、ということに気づいたのです。

 

 

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そんな具合に結論付けることで、私はつい最近知った、子どものつらいニュースを乗り越えることができました。

 

 

結局のところ、嫌な出来事や嫌な人に出会った時の気持ちの整理の方法って、

 

「いかに自分の問題として捉えられるか」ということなんだと思います。

 

 

嫌な出来事があるわけではなく、嫌だと思っている自分がいるだけ。

 

嫌な人がいるわけではなく、嫌だと思っている自分がいるだけ。

 

 

そうして、人や物事を責めたい気持ちをクリアにできれば、

 

もうあとは自分だけの問題になるので、自分の中だけで解消できるようになるんですよね。

 

そんなことに改めて気づいた先週でした。

 

 

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