ラスベガス最終日。


母からおじいちゃんが危篤と連絡を受けた。そしてさらにその3時間後には、亡くなったと連絡を受けた。

 

連絡を受けた私は予想以上に冷静だった。

 

2年ほど前から入院していて何度もそろそろだと聞いていたし、年齢も94歳とかなり高齢だったため、心の準備は出来まくっていた。

 

こうして2日の夜にラスベガスから帰国した私は、その翌朝には北海道に向けて発つこととなった。

 

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お通夜の4時間前に会場に到着し、母に連れられ、おじいちゃんの顔を見にいった。

すっかり痩せてしまってはいたが、思っていたよりも綺麗だった。

 

おじいちゃんに会うのは、実に5年ぶりだった。

 

何度も母に「おじいちゃんが生きているうちに、会いに行って欲しい」と言われてはいた。

 

しかし私は、毎年北海道には行っていたのにも関わらず、一度も会いに行かなかった。

 

それは衰弱したおじいちゃんを見るのも嫌だったし、どうせ会っても私のことはわからないだろうし、わかったとしてもすぐに忘れてしまうと思ったから。だから病院にはついに一度も行かないまま、5年間も会わないまま、お別れとなった。


唯一の孫である私&妹とおじいちゃんの関係は、小さな時から月に一度は遊びに行ったり、小学生〜高校一年くらいまで夏休みはずっとおじいちゃんの家で過ごすほどに、濃かった。

 

おじいちゃんは毎日いろんな所に連れて行ってくれたり、たくさん遊んでくれた。

 

おじいちゃんは本当に私のことが大好きで、母に叱られている時も、進路に悩んでいる時も、どんな時でも私の味方をしてくれた。

 

大好きだったおじいちゃん。

 

そんなおじいちゃんが死んだわけだ。

 

「おじいちゃん、あーちゃんのこと待ってたんだよ」

と、母が言った。

 

そうか。

 

私が旅行を切り上げなくても良いように、待っていてくれたのか。

 

いや、それどころか・・・

 

おじいちゃんが亡くなるのがあと数ヶ月早ければ、私は大いに取り乱し、しばらく何も手につかなかったかもしれない。

 

元気なうちにもっと色々してあげたかったと、後悔の涙を流していたかもしれない。

 

でも今の私は。


5年間会いに行かなかったことも、娘の顔をとうとう見せることができなかったことも、全く後悔していない。

 

その分、私は自分の人生に集中できて良かったと本気で思っている。

 

母に「会いに行って欲しい」と言われた時、自分は果たしてこのままおじいちゃんに会えなくなったら後悔をするのか、自問自答した。

 

後悔するくらいなら会いに行こうと思ったのだ。

 

しかし、私は会いに行かなかった。

 

それは、自分の人生と未来に集中したかったからだ。

 

それこそが、おじいちゃんの最大の願いでもあるに違いないと、思ったからだ。


 

今の私は、残された未来のある自分が、自分の人生を精一杯、そして幸せに生きることを最優先している。

 

別れは決して悲しいものではないと、知っている。

 

今日だって、おおむねいつも通りに、仕事や人生を楽しむことができている。

 

 

きっとおじいちゃんは待っていてくれたのだ。

 

 

こうして私が、自立するまで。

 

 

そして、もう私は大丈夫だと安心したから、旅立ったのだ。

 

 

おじいちゃん、ありがとう。

 

 

これからも見守っていてね。