お久しぶりの更新ですが
すこし前に不妊治療を終えました

なので簡単ですが
その経過のご報告と

最後のお礼です



嵐くんの何回目かの月命日を過ぎた頃から
私たちは治療について話し合って
最終的に
もう採卵はしない
残っている凍結胚盤胞を戻し終えたら
治療は終わりと決めました


凍結していた胚盤胞は3つ残っていて
ひとつは5日目
あとのふたつは6日目

先生がタイムラプスで全てのたまごを確認し
最初に戻すことになったのは
やっぱり5日目の胚盤胞でした


移植日 内膜7.5


BT4 HCG 2.1


BT7 HCG 23.5


BT12 HCG 100.9


BT17 HCG 169.2


BT19 生理


BT22 HCG 19.4

子宮外妊娠の可能性がなくなったそうでホッとしました


あとのふたつは着床もなく終了



凍結していた最後の胚盤胞を移植する頃から
これでダメだったら
着床前診断をしてくれる病院に転院して
治療を続けるという道もあるなぁとは思っていました


でも私には
もうそこまでの気持ちは残っていないとも思いました


42歳になった今
また振り出しに戻って採卵から始まって
胚盤胞にまでなるかもわからないし
正常卵がとれるまでだって
きっと何回も採卵することになるだろう

そしたらいったいあと何十回通院することになるのか

考え出したら
その道のりが果てしなく遠く感じて
気が重くなるだけでした


だからもう
子どもが欲しいという気持ちのピークは
とっくに過ぎ去っていたんだなと実感しました



最後の診察の日
「これで治療は終わりにします」
と先生に告げると

(継続も終了も)「ご夫婦で決めることですからね」

とあっさり処置室なしのお会計コース


本当にこれで治療は終わりです

 

 

もう基礎体温ははからなくていいし

急な休みで職場に迷惑をかけないですむし

コーヒーや紅茶も気にせず飲めるんだという

開放感がちょっとうれしかったけど

ああ、これで終わってしまうんだな

自分から終わらせてしまうんだな

という恋愛の未練のようなものが込み上げてきて

待合室ではただ涙をこらえて過ごしました



夫からは
もうじゅうぶんがんばったよ
と言われるものの
もともと結婚=子どもという考えがあったようなので
果たせなかったのは申し訳ないし
同年代女性の出産の話題を聞いては
切なく寂しい気持ちになることはまだまだあります


きっとこれからも
そんなマイナスな気持ちで
心がよどんでしまうときがあると思いますが
治療をしたことでわかった
人として大事なこともたくさんあります

命の尊さや
夫との絆や
授かれなかった人の複雑な気持ち
自分の中のマイナスな気持ちとの折り合いのつけ方

 


何も得られなかったわけじゃない
治療をしたことで真に理解できたことがある


だから自分を卑下したりせずに
できるだけ前向きに過ごしていきたいと思います

 



私は出産に行き着くことなく
終えてしまった不妊治療ですが
自分にとって
できることのすべてをできたと思えるので
後悔はありません


これが巡り合わせなんだと受け入れるだけです

 



短い間でしたが
お付き合いくださったブロ友さま

コメントやメッセージをくださったり
読んでくださった皆さまへ
心から感謝申し上げます

 

 

今後もしも

治療をやめたら妊娠しました!

なんて奇跡が起こったら

喜んで報告に来る予定です

 

来なかったら奇跡は起きなかったということで・・

 

 


治療をがんばっている皆さまが

幸せなかたちで治療を終えられることを心から願っています

 


私は今ある幸せを

幸せと感じられるように感度を上げていきたいです

 

 

ありがとうございました花束

 

アップしないまま1年以上経ってしまいましたが

最後の更新の前にあげたいと思いましたハリネズミ



嵐くんとお別れをして1か月が経ちました。

 
今でも涙が出ない日はないけれど、
波は確実に穏やかになり、
波と波の間隔も長くなって、
日常をおくれるようになりました。
 
 
仕事も普通に行っています。
普通の会社は産休を2か月とかもらえるそうですが、
大きな会社ではないし、
妊娠のことも知らない人ばかりなので、
ちょっと婦人科系の病気で・・
とだけ伝えて、
入院前後合わせて10日ほど休みました。
 
 
嵐くんの遺骨は今もリビングにあります。
さびしくないように常に目に入るリビングに居てもらっていますが、
なんて声を掛けたらいいのかわからず、
やっぱり心の中でただあやまっているだけの自分がいます。
 
 
義父母にはお正月に妊娠報告をしようと思っていたのですが、
結局、夫だけ帰ってもらって、
妊娠~経過の報告だけしてもらいました。
 
全てを話してあるのは私の母だけですが、
そのことには触れてきません。
 
 
これは同じ立場になったことがある人以外わからないことだろうから
その方がかえってありがたいです。
 
突然起こってしまう死産とは違うし、
普通の胎児異常による中絶とも違う。
 
だって死なせたのは自分たちだし、
長く生きられないことが確定した上での中絶ではなかったのだから。
 
 
出生前診断は、
気持ちに即した言葉にできなかった部分もあるものの、
忘れないため自分の記憶のために書きました。
 
不特定多数の方が読む中、
批判的なコメントやメッセージもあると思いましたが、
いただいたのは励まされるものばかりで、
とてもうれしかったです。
 
 
もしこの記録が、
不妊治療を乗り越えた先で、
悩んで迷っている方のお役に立てていたらよいのですが、
決して出生前診断を勧めているわけではなくて、
できれば束の間の心配の中の、
小さな参考であって欲しい。
 
そしてその先の無事の出産まで、
どうか行き着いて欲しいと心から願っています。
 
 
私は自分たちのしたことについて、
今も考えない日はありません。
 

検査を受けて不安なく出産をしたい方、
検査はせずにどんな赤ちゃんでも受け入れて育てると決めた方、
今もどちらが正解かはわかりません。
 

でもお腹の子の将来をしっかり考えて、
ご夫婦で出した答えが唯一正しいんだと思います。

そう思いたいです。

 

9月16日に胚盤胞移植をしてから、約3か月で終わった妊婦生活。

 

火葬を終えた日からは、ほとんど家のベッドにいた。
夫が有給をとってずっと一緒にいてくれて、
家のこと全部やってくれた。

 
退院から4日後、やっと自宅のシャワーを浴びた。
おそるおそる自分の体を見ると、
お腹は元に戻って、おっぱいもしぼんでいた。

母乳をとめる薬はたった4錠を、人工死産当日に飲むだけだった。
看護師さんは飲んでも飲まなくてもどっちでもいいよって言ってくれたけど、
喪失感をこれ以上味わう意味を見出だせなくて迷わず飲んだ。

 

後陣痛は人工死産後、3~4日目がピークだった。
陣痛に匹敵する痛さだった。
だから鎮痛剤にときどき頼った。
母乳をあげてたら飲まないで耐えられたとは思うけど、
そんなのは思っても意味のないこと。

 

 
先日、マイクロアレイの結果が届いていた。
これは、絨毛検査が陰性だった場合、
NTの原因がわからないから、その先まで検査をしようというもの。
きっと陰性だから申し込んでおこうよと、
夫を説得して、けっこうな料金だけどやってもらった。
けど、けっきょく陽性だったからか、
21トリソミーしか出てこなかった。
 
 
他にもいろんな無駄なことがあった。
 

流産の可能性が高いうちは、

買わないでおこうと決めていたマタニティブラ。

不妊治療を卒業した日の翌日、

急いでAmazonで4枚も注文した。

 

不妊治療の病院ではサプリを全部禁止されてたけど、

密かにピジョンのサプリは飲んでた。

普段はコスパ重視で海外のサプリだったのに、

赤ちゃんに何かあったら…と心配で、

割高だけど国産にこだわった。

 

初めての妊婦健診のあとは、

すぐに母子手帳をもらいに市役所へ行った。

おむつとか哺乳瓶消毒とかのサンプルを一緒にもらえて、

早く使ってみたくてワクワクした。

 

母子手帳の保護者欄に書く名前は、

上段がカナで、下段が私の名前だと思って書いたら、

上段が父親名で、下段が母親名という説もあって、

いくら調べてもどっちが正解がわからなかった。

 

授乳枕にもなるし、ずっと使うからとねだって、

高めのオーガニックの抱き枕を夫に買ってもらった。

けど買うのがあまりに早すぎて出番もなかった。

ずっと部屋のすみに置物になってる。

 

おくるみとベビー服も、

早すぎるけど1つだけ買ってしまった。

私の好きなキャラクターの柄。

お腹の子は多分男の子と思ってはいたけど、

一応、男の子でも女の子でも大丈夫な色にした。

 

チャイルドシートもベビーカーも、

たくさん種類があって何日も迷ったけど、

赤ちゃんを守りたいから、

ケチらず高いのにしようねって言って決めたのに、

守るどころか自分でなくした。

 

全部全部無駄だった。

 

ずっと流産の心配をしていたから、

楽しかった時期は、

不妊治療卒業から胎児ドックまでの、実質3週間ほど。

つわりも5週からずっとあったから苦しかった。

 

 

ただ、それでもやっぱりすごく楽しかった。

私たちにいろんな夢を見せてくれた。

 

 

夫と、あのドラマの「オランダへようこそ」の例え話をした。

 

私は、私が万能感に満ちていた若い頃にあなたと出会って、

結婚して、あの子を授かっていたら、

この飛行機はオランダ行きと、乗る前から偶然わかったとしても、

その飛行機に乗っていたと思う。

と話した。

 

夫は慎重な性格なのもあって、

どんなに若くても、俺には小さい頃から脳性麻痺の弟がいたから、

飛行機に乗る前にきちんと行き先を確認して、

オランダ行きなら絶対に乗らない。

と言った。

 

じゃあ私達は、

若くして出会って結婚して、嵐くんを授かったとしても、

別れて別の道を歩んでいたんだね。

と言ったら、

だから、もしもの話は嫌いなんだ~と怒っていた。

 

でも今、私が絶対に嵐くんを産むって言い張ったら、

受け入れて一緒に育ててくれると、

後出しだけど、言ってくれた。

 

そこはあのときと変わらないんだ、って安心したけど、

それならやっぱり最終決断をしたのは私になるんだ。

 

 

トツキトオカのアプリは、

消さないでおこうって2人で決めた。

 

無邪気な中の赤ちゃんをみると、切なくなるけど消したくはなかった。

 

だから、いつでもこの赤ちゃんには会えるけど、

あの赤ちゃんはもういない。

 

あの子をあきらめたのは私たち。

だからまた会いたいなんて思っちゃいけない。

 

輪廻転生なんて信じていないから、

生まれ変わって来て欲しいとも思わない。

あの子の代わりもどこにもいない。

 

ただ、私たちは自分たちの意思で中絶をしたからって、

あの子が愛しくなかったわけじゃない。
愛しくなかったならこんなにつらいわけがない。
 
 
たましいと肉体が別なら、
染色体異常のないからだを作ってあげたかったし、
私たちのせいでこんな事故に巻き込んで、
未熟なからだを持たせてしまってごめんね、って思う。

そんな、自分に都合のいい考え方をして、
我が子を殺した現実から逃げようとしていることに、
向き合えてなくてごめんね、ってまた思う。
 
 
でも、ごめんねよりありがとうってなるべく言うなら、
心から思って言えるのはひとつだけ。

私はママにはなり損ねてしまったけど、
この3か月間だけは、
私を事実上のママにしてくれて、ありがとう。
 
退院後の帰り道では、お花屋さんに寄った。
 
火葬担当の人は、
骨を残したいなら生花はなるべく入れないでと言っていたらしいけど、
少しは入れたくて、
白いガーベラを主に、アレンジメントを作ってもらった。
 
骨を残したいなら木箱もあまりよくないとも言われたので、
白い紙製の箱をAmazonで注文しておいた。
夫がプライム会員なので、すぐに届いてよかった。
 
お布団が浸出液でちょっと汚れたので、
セスキソーダに浸けて洗ったらきれいになった。
 
お布団はエアコン前に干すと、小さいからすぐに乾いて、
アイロンもかけたらちゃんとなった。
 
少しでもきれいに送ってあげたい一方、
別れたくない気持ちが強くて、
ずっと泣きながら用意した。
 
 
帰宅して初めての夜。
 
おとといまではお腹にいたから、
仰向けに寝るとけっこう苦しかったし、
夜中にトイレに何度も起きた。
 
今、嵐くんはリビングにいるけど、
もうお腹の中にはいない。
 
だから仰向けに寝ても苦しくないし、
夜中にトイレに起きることもなかった。
そのことをただ実感して、
また泣きながらいつの間にか寝た。
 

火葬当日。
朝になってからは、すぐ嵐くんを確認した。
姿が変わっていないか心配だったけど、
保冷剤とアイスノンで冷やしていたから大丈夫だった。
リビングでずっと待っていてくれた。
 
急いで着替えてお化粧をした。
喪服は着ずに、不妊治療を卒業したときの服を着た。
初めての妊婦健診でも着たハレの日の服。
お化粧はしても、目は腫れていてひどい顔だった。
 
でも3人で写真を撮った。
動画も撮った。
嵐くんは動かないから、動画ではたくさん話しかけた。
 
たくさん抱っこもした。
抱っこというか、手のひらに乗せただけだけど。
皮膚がまだできていないからペタペタして剥がれそうな気がして、
手を濡らしながら抱いた。
 
箱に入れる手紙を書いて入れた。
つい、ママは天国へは行けないけど…なんて、
ネガティブなことを書いてしまって、
あわてて書き直したものの、精一杯心をこめて書いた。
 
箱に入れるために買ったミルクとお菓子は、
福犬のイラストが書かれたポチ袋に入れてあげた。
不妊治療卒業の日に、水天宮で買った置物の福犬は、
迷ったけど入れなかった。
 
 
火葬は11時からなのに、
あっという間に時間は経って、ギリギリに家を出た。
 
青空の下、3人で最後の15分ほどのドライブ。
 
はなから景色を眺める気もなく、
夫に「あと何分で着く?」と何度も聞きながら、
ずっと箱の中の嵐くんを見ていた。
 
火葬場に着いたら、
◯◯家と書かれた部屋に案内され、
入るとすぐに火葬台があって、
嵐くんを渡さなければならなかった。
 
最後のあいさつの時間もなく、
お焼香をして見送った。
お焼香なんて故人みたいな扱いをするのに抵抗を感じた。
 
火葬中に夫が最後の手続きをしてくれた。
火葬料金は市営だから安くて死産児は2000円だった。
安すぎて複雑な気持ちになった。
 
 
30分ほどして、火葬が終わったと呼ばれた。
黒いかけらもけっこうあって、
お布団の焼けたあとみたいだった。
でもお布団は敷いてあげたかったから仕方がないと思った。
 
用意しておいた2寸のブルーの骨壷。
これもAmazonで買った。
深さがそこそこあるのに底すら埋まらないくらいの量だったけど、
人骨図鑑みたいな骨もちゃんとあって、
人として残っていてくれたことはうれしかった。
 
火葬場では終始誰にも会うことはなかった。
オルゴールの音楽と、私たちの会話しかない、
生と死の境界に居合わせたような、本当に静かな空間だった。
会話は、私が胎児ドックを受ける決意をした頃からを、
ずっと振り返っていろいろ話した。
 
 
骨壷を抱いて帰宅してからは、何度も開けて骨を眺めた。
骨でも我が子はとてもかわいいけど、
やっぱり骨よりそのままの姿でいて欲しかった。
 
小さな嵐くんをポケットに入れて、
南くんの恋人みたいに、
いつでもどこでも持ち歩いて、ずっと一緒にいられたらよかった。
 
16週1日で生まれた、
体重108g、身長17センチの「嵐」くん。
 
先生と助産師さんと看護師さんたちのおかげで、

あっという間にお産が終わってしまった。

 
でも、あっという間に嵐くんの人生を終わらせたのは私たち。
 
産声は聞こえなかった。
もしかしたら、先生が口を押さえて出ないようにしてくれたのかな。
聞くことはなかったけど、私たちは知るべきだったのかな。
 
 
お産を終えて部屋に戻ると、
食べかけのお昼ごはんがまだあった。
 
陣痛の中、最後に食べたのはパイナップルだったと思い出して、
最初に食べたのはパイナップル。
 
ドラマや漫画みたいに、
時間が戻ったりするとは思わないし、
たとえ戻れても、
また同じ決断をするだけ…と思うから、
戻って欲しいとは思わない。
 
なのに最初にパイナップルを食べた。
 
 
すぐ隣には、2時間前までお腹の中にいた嵐くんが、
きれいな木箱に入っている。
 
部屋に戻るとき、看護師さんが入れて、
私たちに持たせてくれた。
 
改めて嵐くんをみると、
首の後ろが大きくむくんでいた。
水ぶくれみたいに透明で透き通ってる。
鼻は低くて広がってるかな。
私たちの鼻とは似ていなかった。
でも、手足の指はそろっていて爪もちゃんとあって、
シンボルもとてもかわいかった。
 
まだ白くて生々しいへその緒ももらえた。
私が死んだとき棺に入れてもらいたくてお願いした。
いろんな説があるけど、あの世でまた会える説を信じたい。
嵐くんは会いたくないかもだけど。
 
 
1時間くらい3人で過ごしていたら、
へその緒から血がたくさん出てきてしまって、
心配になってまた、
看護師さんに預かってもらった。
「会いたくなったらいつでも言ってね」
と言ってもらえた。
 
 
昨日の夜はほとんど眠れなかったけど、
お産を終えたあとは安堵感からか夕方少し眠れた。
 
でもすぐに目が覚めて、現実に引き戻される。
 
箱に合いそうなサイズの掛け布団を作ったり、
折り紙を折ったりした。
 
夜、夫が帰ってからは、
生まれて41年間で一番みっともなく泣いた。
出産直後にもらった睡眠導入剤を飲む。
ベッドに横になって、泣き続けていたら、
いつの間にかちょっと寝ていた。
 
 
朝、目がパンパンに腫れている中、
最後の診察を終えて、退院の準備。
 
昨日の夕方に産院からもらった死産届けを、
夫が朝一で市役所に出して、
火葬許可証をもらってきていた。
火葬は市営の火葬場で、明日の11時。
なるべく骨を残したくて、朝一の炉でしてもらえるようにした。
 
 
看護師さんに見送られて、嵐くんと一緒に退院。
つらかったらいつでも来てね、と言ってくれた。
 
お会計は、出産育児一時金で間に合う額だった。
トイレとシャワーつきの広くてきれいな個室で、
別料金だと思ってたのに。
産院の皆さんにはただ感謝しかない。
 
おととい来た駐車場までの道を歩いて車に乗る。
来るときは、お腹の中にいた赤ちゃんが、
今は私の膝の上にいる。
新生児用チャイルドシートに乗って帰るはずだった赤ちゃんが、
目の前のちいさな木箱の中にいる。
 
 
退院の朝に、産院のアンケート用紙を書いた。
私の今の気持ちをオブラートに包んで書いた。
今後、同じような患者が来たときの参考になったらいいけど、
睡眠導入剤を前もってくれてるあたり、
理解してのことなのかも知れない。
 
 
以下、記憶の原文です。
 
今回は私たちの選択を温かくサポートしていただき、
本当にありがとうございました。
悲しい出産でしたが、
まるで普通の出産をしたかのように思えた、
幸せな時間でした。
赤ちゃんは亡くなっていましたが、
大切に扱っていただき、
かわいい箱とお布団で寝かせてもらえて、
とてもうれしかったです。
 
私は自分達のした選択が間違っているとは思いません。
悩み抜いて出した答えなので、後悔するとも思いません。
でも今、こうして出産を終えた後の、
自分の中の矛盾した気持ちに戸惑っています。
 
どうして産んであげられなかったんだろう…
生きて産んであげたかったな…
さっきまで生きて一緒にいたのに…
 
この決断と行動をしたのは自分だと、
理性ではわかっているはずなのに、
力強く頻繁に襲ってくる疑問や願いや喪失感を
受け止めることがまだできません。
 
いつか時間がたって、
この気持ちと冷静に向き合える日がくればいいなと思います。
 
たくさんのお気遣いをいただきありがとうございました。
 
 
書かなかったのは、罪悪感という言葉。
看護師さんは、
「◯◯さんは悪くないからね」
と何度も言ってくれたけど、
出生前診断をすると決めたときから罪悪感は生まれていた。
そしてそれは、お腹の中にはもう赤ちゃんがいない事実に気づかされたときに、
何十倍にも膨れ上がった。
 
ここから文体が変わります。
気持ちと記憶が薄れる前に、できるだけ残したい思いで書きます。
中絶のことなので不快な気持ちにさせてしまったらごめんなさいm(__)m
 
 
16週0日、妊娠5か月になった日に入院。
 
初日。
 

10時、入院。

11時、ラミナリア8本。

17時、4本追加。計12本。

 

翌日。

 

7時40分、ラミナリア12本抜去。陣痛促進剤1錠目。

10時40分、2錠目。

12時30分、破水。

12時41分、出産(人工死産)

 

 

私は生理痛が重いので、痛みに強い自覚はあったけど、

きれい事を抜きに本当にいろいろ耐えられた。



ラミナリアは、予定より多く入ったけど、

これだけ入れればすぐに出てこられると聞いて安心した。

息をゆっくり吐くことに集中すれば、

入れるのも抜くのも「大丈夫です」って耐えられた。

 

 

陣痛促進剤1錠目の後、

生理痛のような痛みが、ときどき来るようになった。

 

2錠目を入れる前に、子宮口の触診。

なかなかの痛さだけど、無言で耐えられる。

2錠目を入れた後は、

12時くらいから重い生理痛が、間隔なく持続し出した。

 

でも、私の知識の中の陣痛というのは、

波があるものだったので、

これは陣痛ではないだろうと思いながら、

お昼ごはんを数口食べた。

 

 

結構痛いな、と思って横になっていると、

突然何かが降りてくる感覚があって、

バシャッと水風船が割れるように破水。

同時に痛みは嘘のように引いた。

 

夫がナースコールで破水したみたいと連絡をすると、

車椅子を押した看護師さんが来てくれて移動。

 

 

分娩台に乗って待つと、夫と入って来た看護師さんが、

夫を私の頭の横に座らせてくれた。

夫も私も、

こんなお産だから、立ち会いは無理だよね…

と思っていたから、

当たり前のように入れてくれたことに感謝した。

 

 

間もなく入って来た先生が、

「音楽かけて」

と言ってくれて、オルゴールの何かの曲が流れ出した。

 

特大サイズの金属が入る感触と激痛が一瞬。

まだ耐えられる。

 

「頭見えてる」

「下りてきてるからいきんでみて」

と言われたけど、陣痛もないし、

いきみかたがわからず、適当に踏ん張る。

1回目は失敗。

 

少し間をおいて2回目にトライ。

看護師さんから、

足底を蹴るみたいに力を入れて、ウンチをするようにいきんで。

と言われイメージがついた。

看護師さんがお腹を押してくれたこともあって、

2回目でズルンとした感覚があった。

 

 

「12時41分!」のコール。

 

生まれた!とすぐにわかって、

その瞬間、涙と同時に、

「ありがとうございました」という言葉が出てきた。

子どもみたいに、嗚咽をもらして泣いた。


 

すぐに真っ赤な赤ちゃんを私たちに見せて、

「きれいにしてくるからね」

と言った看護師さんが戻ると、

横になっている私の右腕に、

処置用シーツにくるまった赤ちゃんをやさしく置いてくれた。


角度的に頭と鼻しか見えないけど、

いつもエコーでしか会えなかったあの赤ちゃんが、私の腕の中にいた。

 

ほどなくしてカメラを持った院長先生が来て、

「安産だったね!」

「写真とるよ~、旦那さんも入って」

と言って、立派な一眼レフカメラで私たちを撮ってくれた。

私たち最初の家族写真。

 

 

その後はそのまま台から降りずに安静。

あまりに静かだったので夫に何か話そうと思い、

「名前、考えた?」と聞いた。

 

夫が黙っていたので、ふと音楽に集中すると、

嵐の曲が流れていたので、

「この曲、嵐だね」と私が言った。

すると夫は、

「じゃあ、嵐だ」と言った。

 

 

だから赤ちゃんの名前は、嵐くんになった。

 

絨毛検査の結果が書かれた紹介状を持って、

お世話になっている産院の、
3回目の妊婦健診へ行きました。
 
ずっと考えていたとおり、
受付で紹介状を渡して、院長先生を指名して、
夫と話し合って決めていたことを再確認しながら待ちました。
 
 
間もなく呼ばれて診察室へ入ると、
検査結果の紙を広げた先生が待っていました。
 
夫が先生に無断で検査をしたことを謝罪をすると、
先生はすぐに許してくださり、
実はね、、と同じような患者さんの話をしてくださいました。
その患者さんは42歳で、
今日、また赤ちゃんを授かったことを報告してくれたそうです。
 
 
その後はすこし空気が変わって、
先生は真剣な表情で、
「ダウン症のことは全部知っているの?」
と、私たちに問いかけてきました。
 
私は言葉に詰まりました。
全部と言われて途端に自信がなくなり、
何も言えずにいましたが、
先生はすぐにやさしい顔になって、この先の話をし始めました。
 
 
いつ入院する?と言われ、
私は、「1日でも早くお願いします」
と答えました。
 
今は15週6日でしたが、
胎動を感じることで気持ちがぶれるのがこわいから、
1日でも早くお願いしよう。
これもずっと決めていたことでした。
 
 
先生は予定表に目をとおすと、
「じゃあ、、明日でもいい?」
と聞いてきました。
そんなに早くお別れなんて…
と、一瞬気持ちがぐらつきましたが、
感情をなくすことで、
「はい、大丈夫です」と答えられました。
 
「じゃあ、赤ちゃんの大きさだけ診るね」
と言って、ちょっとだけ経腹エコーがありました。
赤ちゃんに会えるから、毎回楽しみだったエコーだけど、
最後のエコーは、頭の大きさを計測するだけの、
処置のためだけの、機械的なエコーでした。
 
 
診察を終えたあと、
待合室でお会計を待っていると、
診察室から出てきた先生が、気さくに話しかけてきてくださり、
またいろいろな話をしました。
同じ「命の選別」になると言われている、
着床前診断の話もしてくれました。
 
 
後から考えると、
先生はきっとこの短時間の中、
私たちの意思と決意を再確認した上で、
私たちが罪悪感を強く感じる前に、
最短でお別れができるよう配慮してくださったのかなと思いました。
 
 
この産院は、地元では一番人気のところですが、
これだけでもこの産院の評判のよさが、
わかったような気がしました。
 

私には母性はないのかも知れません。

 
検査結果が陽性なら、赤ちゃんをあきらめる。
 
その気持ちがあれから一度もゆらがなかった私は、
やっぱり母親になる資格はないのでしょう。
 
 
fish法の絨毛検査結果が陽性だったことで、
私が次に心配したのは、
私たちの決断を受け入れてくれる病院があるのか、ということでした。
 
ネットの中には、
受け入れてくれる病院がなかなか見つからなかったという人がいて、
私はその心配をしました。
 
今お世話になっている産院宛に、
紹介状を書いてもらう予定ではいましたが、
ただ、断られる心配ばかりしました。
 
 
12週での2回目の妊婦健診で、
出生前診断のことを聞いたときの、
勤務医の先生の表情が途端に厳しくなったこと。
 
それがずっと頭にあって、
断られたら近くの総合病院か大学病院を、
さらに紹介してもらうしかない。
 
そのシミュレートを、頭の中でずっとしていました。
 
 
確定診断結果を聞く日の夕方に、
産院の妊婦健診の3回目の予約をしました。
 
15週6日になるでした。
 
お昼に受け取った紹介状を受付で渡して、
初診で私たちを温かく迎えてくれた院長先生を指名して、
勝手に確定検査をしたことを謝ってから、
その先のことを相談しようと思いました。
 
 
でも、私たちの身勝手な決断で、
命をつなぐためにある産院で真逆のことをすること。
先生を共犯者にさせる罪悪感。
もしくは非人道的と否定や説得をされ、
取り合ってもらえないこと。
 
その恐怖心はとても強かったです。
 
 
陽性だった結果から、
中期中絶の方法も詳しく調べて知る中で、
その恐怖はほとんどありませんでした。
 
だって一番痛くて苦しいのは、
まだまだこの世界では生きられないのに、
お腹からいきなり出されてしまう赤ちゃんだから。
 
そう思ったら、どんな肉体的な痛みがあったとしても、
私はいくらでも永遠に耐えられると思えました。
 
fish法の絨毛検査結果が陽性だったことで、
私はもう、Gバンドの検査結果が変わることは絶対にないと思いました。

なので聞きに行く意味もない、とまで思いましたが、
先生に最後に直接聞きたいことができたので、
行こうという気持ちになりました。
ネットではなく、
胎児ドック専門医の先生の口から直接確認したいこと。


当日はエコーはなく、最終的な意思の確認と、
染色体全ての絵が書かれた結果の紙をいただきました。
21番がやっぱり3本あって、矢印で強調されていました。

先生からは、
「染色体異常は細胞分裂過程における、
事故みたいなものですから…」
と、また励ますように言われました。


私はこのとき、この言葉をなんとも思わなかったし、
先生自身も何気ない気持ちで言った言葉なのかも知れないけれど、
この言葉は、後に私を時折少しだけ救ってくれる、
大切な言葉になりました。


私が先生に聞きたかったことはひとつだけ。

だからさらっと聞けるはずと思ったのに、
口を開いた瞬間、喉が詰まって言葉が出ませんでした。
でもふりしぼって出そうとしたら、
声が震えて涙声になり、
最後まで言えるかわからないと思った中、
思いきって力をこめたら言えました。

「私と同年代の方が、この検査で陽性だった割合は、
この病院ではどのくらいなのでしょうか?」


これを知っても結果が変わるわけではないし、
私たちの決意がゆらぐわけでもない。
何の発展性もない意味のない質問。

でも、これだけが聞きたかったのです。


先生は、
「やっぱり100人にひとりくらいの割合ですよ」
と、具体的に数字で教えてくださいました。


ネットの情報と変わらないんだ…
一番にそう思いました。

私はどこか、臨床現場とでの差があることを願っていました。
ネットの中のいろんな情報を知るたびに、
何度も何度も絶望したから。

けれど現実の数字と近いことで、
他の部分を含めて少しでも疑いたかった全ての望みが、
完全に断たれた気がしました。


これでまたひとつ心の整理というか、諦めがつきました。

絨毛検査の結果を待つ1週間のあいだ、

出生前診断がテーマのドラマや漫画、

染色体異常についてのサイトや文献、

実際に育てている方、お別れすることになってしまった方の

ブログや掲示板も、

使える時間を全部使って読ませていただきました。


夫と意見が食い違うこともありましたが、

冷静にたくさん話し合って、

陽性だったときの考えを、

深く先まで一致させることもできました。

 

 

そして1週間前に受けた絨毛検査の結果を聞きに、

病院へ行ってきました。

 

今日わかるのは、FISH法の結果のみで、

13番、18番、21番、X、Y、の5種類の異常です。

 

 

今日は結果だけで終わりかな、と思っていたら、

まずは赤ちゃんの様子を見てみましょう、

ということで、

また4Dを含めた経腹エコーをしていただきました。

 

初期胎児ドックのときと変わらず、

手や足の指、脳や心臓や血流のチェックをじっくりと。

NTは吸収されたのか、

5.3mmが4.9mmに減っていました。

 

14週6日にもなれば、

ある程度NTがなくなっているのは自然なことなのですが、

そのときはそれだけでものすごく安心してしまいました。

やっぱり一時的な生理現象だったんだと。

 

 

その後は間もなく、先生のお話が始まりました。

すぐに検査結果を見せてくれるものだと思っていたら、

なぜか、十分知っている染色体の話からでした。

通常、2本ずつあります。

という当たり前の話。

 

そして、検査結果の紙を差し出しされたので見ると、

すべて英語で書かれている中、

一部数字が見えたので、そこに注目。

中央左から3番目の数字にすぐ目が行きました。

 

2、2、3、1、1

 

3本ある染色体が存在していました。

 

結果は21トリソミーでした。

 

 

その後の先生の話はおそらく、

ダウン症でも大きな合併症がなくて、

普通に生活できている子はたくさんいるとか、

そんな前向きな話だったと思いますが、

私の頭には入ってきませんでした。

 

ただ、先生の話が長引くにつれて徐々に実感がわいてきて、

次々涙があふれてきました。

 

それでも先生が前向きな話を続けてくれようとしたので、

「私はもう、産む気持ちはないんです」

と言いました。

 

 

少しの間をおいて夫が、

「今、妻が言ったように私たちの気持ちは決まっているのですが、

こちらの病院では対応可能でしょうか?」

と聞いてくれました。

 

この病院を受診する前から、

もしあきらめることになったらここで対応してくれるのか、

というのは、いつ確認するか考えてはいたことですが、

それはそのときになったら聞こうと思っていました。

 

まさか今日そのときが来るとは思わなかったわけではないけど、

一番確認したくなかったことでした。

 

先生は、

ここではできないので、

今お世話になっている産婦人科で相談してみてください。

紹介状は、来週出るGバンドの確定診断結果をもって書きます。

と話しにくそうに言いました。

 

 

私はもう一刻も早くここから立ち去りたい気持ちでいっぱいだったので、

終わりの空気を待たずに、

ありがとうございました、といって席を立つと、

先生は、

この染色体異常は遺伝性のものではないので、

また次がありますから、、

と励ますように言ってくださいました。

 

 

先生の言う「次」があるのか、

今の私には異世界のことのように思えたけれど、

私を気遣ってかけてくれた言葉の心は感じられたので、

ありがたく受け取れました。



結果を聞いた後は、

看護師さんの配慮で別室へ案内されました。

 

夫と2人きりになって、

改めて検査結果の紙を見て、

名前は間違っていないかをまず確認。


すべて英語で書かれていると思ったら、

一部日本語のところがあって、

そこには、

この検査結果の正診率は陽性の場合、

99.83%とありました。

 


夫は、

「シロちゃんの言ってたとおり、男の子だったね」

と笑って言ってくれました。