石川啄木 〜File8〜 | あさがやりえ子の巻き物ブログ〜STAR SEAT 編〜

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SHORT SONGS 編もよろしくどうぞ。



去る
「5月26日」―――

世の中が
「2年ぶりの天体ビッグイベント」
「皆既月蝕のスーパームーン」で沸く中、

同じタイミングで
自身も密かに
「誕生日」を迎えておりました。

これはもう…
なんだかもう…
「ただの偶然ではない気」がして

「天体観測へいざゆかん」とばかりに
予め予習しておいた方角を目指し
できるだけ拓けた場所を探しては
暫しの移動を繰り返してはみたものの…

一向に
「その姿」を確認することはできず…

あれよあれよと
月蝕のその瞬間が
訪れようとしておりました。

その時、
あさがやりえ子は
「都会の不憫さ」を
「少しだけ呪った」といいます。

仕方がないので
阿佐ヶ谷駅前にある噴水広場に腰かけ
You Tubeで皆既月蝕中継を鑑賞することに。

中継も終わり
アジフライの入った買い物袋をぶら下げながら
帰路についている途中。

何気なく後ろを振り返り
空を見上げてみると

そこには―――

辛うじて
「存在していること」を
ようやく確認できるほどの月が
「申し訳なさそうに浮かんでいる」のが
確認できました。


月は

「心」をあらわす天体。


まるで

「自身の心情を投影している」かのように

「靄(もや)を纏ったおぼろ月の姿」に

思わず私は
鼻を鳴らしました。


「シニカルな笑み」が

「とてもよく似合う夜」だったと思います。











6月2日(水)


のちに
知り得た情報によると
東京での観測は
「ほぼほぼ絶望的」だったとのこと…


……だから

嫌いだよ…

コンクリートジャンゴーなんて。




こうして
来る日も来る日も
「膨大な情報量」のもと
「100番勝負」に取り組んでおりますと
「その時の主役」に
「魂を乗っ取られてしまうこと」が
稀にあります。

これだけ
綴りまくっておりますと
あたかも
「その人になった気分」になるのです。

殊に
もしもその人が
「酸いも甘いも噛み分けた濃ゆ〜い人生」を
送られてきたとしたら尚の事…

気がつくと画面の前で
「無意識」に
「息を止めてしまっている」時すらあります。


今回の主役人(びと)は

「薄幸で短命な人生」でした。

そうしてまた

どこか

「物憂げなところがある人」だったのです。


田舎に生まれ
都会に憧れ上京。

しかしながら
夢半ばで病に倒れ

その
「確かなる才能」が生前、
日の目を見ることはありませんでした。



そう…

今回の
主役はこの方……







天才歌人であり詩人の

「石川啄木先生」(以下、石川くん)で
ございます!


いつの頃からか…
石川くんは筆者にとって
「特別な存在」となりました。

そして
「短歌」という
些か「マニアックなジャンルの中」で
いかにして
「唯一無二の輝きを放つ存在」となっていったのか…

それを
いまから順を追って
説明していきたいと思います。


石川くんは
「1886年2月20日 岩手県」にて
おんぎゃあああ〜!と産声を上げました。

ギリギリ
「太陽魚座」ですね。

そして
「月は乙女座」です。

太陽魚座の人は
「ベビーフェイス」で
「可愛げのある見た目の人」が
非常に多いのが特徴ですが…

石川くんもまた
期待を裏切りません。

彼は
「金星の後押し」もあり
「モテる人」であったことでしょう。

「甘え上手」であり
「人気運」もあったため
「友人は多かった」と思います。

「人が喜ぶ言葉選び」や
「興味を惹かれる話題選びが得意」である
俗にいう
「太鼓持ち」であったようです。


石川くんの代表作といえば
こちら


はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)
楽にならざり ぢっと手を見る

ですとか

ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人混みの中に そを聴きにいく

ですとか…

それから

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て妻としたしむ

ですとかね…

こういった
どこか「清貧チックな歌」が有名ですけれど

実際は……

とんでもございません。

なぜなら
「石川啄木」と
ネットで検索しますと
「クズエピソード」たる言葉が
真っ先に飛び込んできましてね。


本当の石川くんは


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねといのりてしこと


……こんな奴なんですよ。
(筆者はこの歌が一番好きなのですが)


で、
どんなクズっぷりを
発揮していたかと申しますとね…

とりあえず
友人各所に
「借金をしまくって」いました。

その数
「約60人」…!

借金総額は
「のべ1372円50銭」…

現在の価値にして
「およそ1500万円」!!!

…と、
こうなるとこれは…

「本物」です!

本物の
「クズ野郎」です!!!


中には
私物を売ってまで
困る石川くんのために
「お金を工面してあげた人」…

そして
結婚しても
家族を養うことができない石川くんに代わり
「家族の面倒を見てあげた人」…

など

自分が友人の身ならば
「確実に縁を切っているであろうクズエピソード」が
ここほれワンワン!

次から次にZAKZAKと!!

こんなことをしてまでもなお
友人たちが
「彼を見限らなかった」のは
やはり彼には
「人を気持ちよくさせる話術」があり

そして何より
「天性の憎めなさがあったため」だったのでしょうね。

多分、
「怪しい水の類い」とか売らせたら
たちまち
「業績トップの座を狙えた」と思いますよ。


それだけではございません。  

生まれながらに
「大衆の趣向を感知できる」という
「謎の癒やし力」を
お持ちだったのかもしれません。

そして基本的に
「陽気でポジティヴキャラだった」でしょうから
「自然と周りに人が集まりやすかった」のでは
ないでしょうか。


しかしながら彼には
「文筆業で成功する」という
「別の夢」がありました。

石川くんが
本格的にその「文才を発揮する」ようになったのは
中学を退学した翌年、
「15歳ぐらいのころ」です。

彼は元より
「非常に勉強のできる子」でした。

証拠に
小学校へは
1年早い「5歳で入学」。

そして
卒業時も「首席」という
「大変優秀な頭脳の持ち主」だったのです。

その後、
中学へと進級し
「石川くん14歳の時」でした。

「頭がキレるがゆえの悪知恵」だったのかは
さだかではありませんが…

ある友人に
「度重なるカンニングへの協力」を強要する石川くん。

やがて悪事がばれ
そのことが原因で
友人は既に獲ていた
「奨学金制度の資格」を
「剥奪」されてしまいます。

すると
「後ろめたさ」からか…
「学校にいくのが面倒になった石川くん」は
「学校を休みがち」に。

そうしてとうとう
「出席日数が足らなくなり」
そのまま「自主退学」してしまいました。

ここは…
普通ならば「心を入れ替え」
「出席日数を足らせようと頑張るところ」を
事もあろうに石川くんたら

『んだは、卒業しねくてもいがんべ!』
(訳:じゃあ、卒業しなくてもいいっしょ!)

と、
こんな感じに
「開きなおるのもいいところ」になってしまったのです!

その時、
できた歌がこちら―――


教室の窓より遁(に)げてただ一人
かの城址(あと)に寝に行きしかな


背景に
「青春拗らせBOY」の「同志」
「尾崎豊くん」のような「情緒は皆無」…

「盗んだバイクで走り出すこと」もなければ
「行く先もハッキリとしている」
「ただのサボり以外」の
「何者でもありません」でした。


とはいえ…

石川くんの
「才能は確かなもの」…

中学を退学した翌年には
その「文才が認められ」
「与謝野鉄幹」主宰の文芸誌「明星」にて
作品が掲載されることとなったのです。

そして
「18歳のころ」には
処女作詩集「あこがれ」を発表しました。

おそらく
若き石川くんの「興味の矛先」は
「常に文学一本に絞られていた」のでしょう。

故に
「専門的知識が高く」
「ひとつの分野を徹底的に探求したい」という
「好奇心に満ちていた」のだろうと思います。

また
「インスピレーションに優れており」  
「直感力とアイデア力が活性化していた」でしょうから
この能力を「執筆活動で活かしていた」に
違いありません。


さて…

10代のうちにメキメキと
頭角をあらわしたかのように見えた石川くんでしたが…
現実はそううまくいかないもので。

裏では
「坊さんだった父親が失業」し
「石川家は大変なこと」になっていました。

本当ならば
「長男であった石川くん」が
「家族の危機を救わねばならない局面」でしょうが
当の本人に
「そんな気は1ミリたりとなかった」ようで…

それどころか

『オラ、もっと文筆業に専念してぇ〜のさ!
だっか、ちょっくらオラ東京さ行ぐ!!
だっか、家族のごどお願ぇ〜すっから!!』
(訳:ボク、もっと文筆業に専念したいのよね!
だから、ちょっとボク、東京に行ってくる!
だから、家族のことお願いするね!!)

と、
言い残し
「単身東京」へ。

その時、
家族の世話を頼まれたのが
友人であり歌人仲間の「宮崎郁雨」でした。

実は氏、
石川くんに
「一番多くのお金を貸していた人」でもあります。

氏に
たくさんのお金を借りながら
家族の世話まで頼んでしまうなんて…
どこまで救いようのないク……
天才なのでしょう…。

残された家族たちも
さぞや「生きた心地」が
しなかったのではないでしょうか。

そうしてとうとう
石川くんのところに
痺れを切らした家族たちから
「肩身が狭い」といった旨の手紙が届くようになりました。

が、
なんと石川くん…

それすらも「無視」!

「ガン無視」も
いいところだったのです!


石川くんには
18歳のころに結婚した妻がおりました。

名は
「堀合節子」といいました。

節子ちゃんは
中学時代の「初恋相手」でした。

が、
これこそが節子ちゃんにとって
「不幸のはじまり」だったのです。

ある日、
節子ちゃんとの結婚式を挙げるため
生まれ故郷の岩手に
帰郷することになった石川くん。

しかし
鈍行列車に揺られているうち
こんな思いが脳裏をよぎりました。

“いま帰ぇ〜たら家族の面倒見なくちゃなんね…!”
(訳:いま帰ったら
家族の面倒見なくちゃいけないじゃんね…!)

そしてなんと…

「結婚式をすっぽかす」という
「暴挙に出やがった」のです!

そして
なんとなんと…

「節子ちゃん1人」で
「結婚式を挙げるハメ」に!


もう…
かける言葉もございません…。

もしもいま
隣に節子ちゃんがいたのなら
「無言でそっと肩に手を置いていた」ことでしょう。


では、
肝心の石川くんは
どこで何をしていたのかと申しますと…

「仙台で途中下車」し
「旅館でダラダラ」…

ですが、
「お金を持っていなかった」ため
「宿代が払えず」
懇意にしていた詩人の「土井晩翠」に
このような連絡をしました。

『かかあが危篤で急遽、帰らねばなんねげっつも
如何せん銭っこあ無し。いますぐ銭っこあ必要だがら
貸してけねべが。』
(訳:母が危篤で急遽、帰らなくちゃいけないんだけど
如何せんお金が無い。いますぐお金が必要だから
貸してくれない?)


「こういった類の嘘」って
この時代からあったのですね…。


しかしながら
結局、嘘はバレ
「土井さんの妻に叱咤される」という本末。

「策に行き詰まってしまった石川くん」は

最終的に
「宿代を踏み倒す」という
またしても「類を見ない救いようのなさ」を
発揮してくれたのでありました。


このあたりのエピソードを
占星術的に紐解いていきますとね、

まず
彼が「夢想家」で
「現実離れした人」であったということが
わかります。

「漠然とした曖昧な性格」で
「どっちつかずのIwant youな性格」だったのだ、と。

「手に届きそうにない夢や成功」、
「名声を追い求める傾向」があり
「かなりの理想主義者」だったのでは。

それ故、
あんなことをしてしまったのでしょうし
「フラリ一人旅に出てしまう」ような
「瘋癲さ」といいますか
「放浪癖のようなもの」があったのではないでしょうか。

本人的には
「真剣に考えて行動しているつもり」でしょうが
「保守的な姿勢」をとったかと思えば
「突拍子もない行動に出たり」と
「態度に一貫性がなく」
「個性が強く出過ぎてもはや変人の域」…

傍から見ると
「こいつマジなんなん?!」といった具合
だったのでしょうね。

更には
石川くん自身、
自分のことを
「偉大なるカリスマ」だと思い込んでいた節があり
「虚像を生きてしまっていた」とでもいいますか。

「人生の苦しみを味わっている自分」に
「酔っているようなところ」が
あったのかもしれませんねぇ。

「自分はお前らと違うんだ」と

「自分を崇め奉る系」だった可能性が高いです。


まぁ…
なにはともあれ
節子ちゃんと結婚した石川くんはその後、
少しは心を入れ替えた時期もあったのでしょう。

「小学校の臨時教員」を務めたあと
「北海道」へと渡ります。

そこで
「新聞記者」の職に就いたのです。

石川くんの文才は確かなものでしたが
歌人、詩人の道でおまんまを食べていくことは
そう容易いものではありませんでした。

なので
「できるだけ文章に携われる仕事」を…と
選んだのが新聞記者という職種だったようです。

彼の書く文章は
読者から高く評価されました。

ようやく
腰を据えることができそうな予感すら
あったかもしれません。

が、
「タダでは終らない男」
それが石川くんです。

このことに
「調子づいてしまった」のでしょう。

瞬く間に
「遅刻、欠勤当たり前」という
「素晴らしい勤務態度」に。

「会社まで行く電車賃がない」という理由だけで
休んでいたといいますから…

いやはや…

「自己顕示欲が強く」
「自分の能力を過大評価しがちな性分」にあった
石川くんならではのエピソードのような気がします。


そして
「石川くん22歳の時」でした。

やはり
文学の道が捨てきれなかったのでしょう。

再度、
上京することを決意したのです。

少し遅れて
節子ちゃんと石川くんママも
東京に呼び寄せますが
どうにも「2人の折り合い」がつかず
家を出ていってしまった節子ちゃん。

節子ちゃんを追いかけようと……

しないのが石川くん。

連れ戻したのは
「石川くんの友人」だったといいますから…

これまた
いやはや…。


石川くんは
「マザコン」だったようですね。

ママから
「多くの愛情を受けて育つ運命」にあったようですし
ママ以外にも
「女性にモテ、援助してもらえる」という
「ラッキーな星並び」をお持ちでございましたもの。


上京したものの
「働く素振りのない石川くん」。

そのくせ
養わなくてはいけない家族まであったというのに
どうやって生計を立てていたのでしょうか。

答えはシンプル…

そう
「借金」です。


一番多くのお金を貸していたのは
前述したとおり歌人の宮崎郁雨。

そしてもう一人
いつも何かと気にかけ
世話してあげていたのが
親友の「金田一京助」です。

金田一くんは
決して裕福ではありませんでしたが
石川くんがお金を借りにくると
「奥さんの持ち物を売ってまで」
「お金を工面してあげていた」といいます。


もう…

友達やめちゃえばいいのに…(ボソッ)


だって…
それが家族の生活のためだったらまだしも…
そのほとんどの使い道は
「女遊び」「遊郭通い」だったのですから。

どうも彼、
「恋愛に対する憧憬が強く」
好きになった相手を
「必要以上に美化してしまう傾向」が
あったようでして。

なまじ
「官能的な魅力を備えている」だけあり
「無意識に相手を誘惑」したり
ないしはされたり。

「不倫や浮気」など
「公にはできない恋愛に溺れてしまう」という星のもと
しっかりと生まれてきてしまったようですね。

基本的には
「ひとりの人を深く愛する性格」なのです。

ですが
「相手に対する期待が大きく」
「自分の感情をコントロールできなくなるような一面」が
あったのかもしれません。

急〜に
「相手を信じられなくなったり」
「嫉妬や執着」など
「ネガティヴな感情を抱きやすい」
所謂、
「女性依存」というヤツですね。


石川くんが一方的に
家族の世話をお願いしていた
宮崎郁雨とのエピソードに
こんなのがあります。


ある時、
「奥様の節子ちゃん宛て」に
「無記名」で手紙が届きます。

差出人は
宮崎郁雨でした。

手紙には
こんな内容が記されてあったといいます。

“節子ちゃん
ひとりだけが写っている写真が欲しい”

これを見た石川くんは
「2人の不倫を疑い」
「裏切られたとばかりに大激昂」!

自分のことは棚に上げ
あんなに色々と世話になった
「命の恩人」といっても過言ではない友人に
一方的に「絶交」を突きつけ

節子ちゃんにも
「離縁を申し出る」騒動にまでなってしまったのです。


……器、小っさ!


一度、
怒りに火が点くと
「頑なな頑固さ」が出てきてしまい
「人の意見を聞き入れようとはしなかった」石川くん。

「自分の思想を理解してくれない相手」は
「徹底的に糾弾する」という
「攻撃的な部分」があったのではないでしょうか。

しかも
「負けず嫌いで短気な一面」があったため
「理攻めがち」といいますか
「辛辣な言葉の暴力を浴びせるタイプ」だったと
推測いたします。

……タチ、悪っ!!


石川くんには生前、
ちまちまと付けていた「日記」がございまして。

この中には
「不安や不満」が
ふんだんに書き記されていたようですが…
とりわけ「浮気の描写」には
「エグいもの」があったようですね…。

「関係をもった女性の名前」や
「行為の最中のこと」まで
「事細かに記してあった」とのこと。


……きっっしょ!!!


『節子に不満があるわけではない。
人の欲望が単一ではないだけだ。』


……どの口が言ってんだ!!?


更には
「聖人」と呼ぶべき金田一くんのことまで
「けちょんけちょんに貶しまくって」ますからね!
この男!!


でもね…

「人の道を外れた行為ばかりしていた罰」でしょうね。

石川くんは
もし自分が死んだら
「この日記は燃やすように」と
節子ちゃんに指示を出していたようでしたが…

節子ちゃん

「燃やしません」でした。

頭の良い石川くんは
節子ちゃんに読まれないよう
この日記の全てを
「ローマ字で付けていた」ようでしたが…

節子ちゃん

ローマ字

「普通に読めて」ました。

節子ちゃんもまた
「才女」だったのです。


……ざまあ!!!


しかも
彼の亡き後、
ローマ字日記は高い評価を得て
のちに「岩波文庫」から
「書籍化」されてしまったっていう…

ヒャアアア〜ハッハッハ!!!(高笑い)


……ハッ……

す、すみません…

石川くんに魂を乗っ取れ
ついつい筆者まで「性悪」に……

気は

確かです。


これは筆者の
憶測でしかありませんが…

節子ちゃん…
やっぱり
「石川くんの才能に惚れていた」のだと
思うのですよね。

なので、
決して石川くんを
「晒し者にしたかった」というわけではなくて
その逆でね、

「彼の才能を誰よりも信じ」

愛の永遠を信じたく候」だった故の

ソレだったのではないですかねぇ…。






「愛」ですねぇ…。



そんな感じに
「ゆうても愛され者の石川くん」。

「霊障トラブル星」という
少し変わった星並びをお持ちでございましてね。

読んで字の如く…
「霊絡みのトラブルに遭いやすい人」
だったかもしれず…

事実、
「霊をよく見ていた」らしいのです。

『ほれ…!そごさ…!!
門の前さ!いっぺよ!!?』
(訳:ほら…!そこに…!!門の前に!
いるじゃないか!!?)

とか…
そんなことを
よく言っていたらしいですよ。


石川くんの3歳年上に
「沼田サタという幼馴染みの子」がおりまして。

サタちゃんは
ジフテリアという病気にかかり
「11歳という若さで死んでしまう」のですが。

「彼女会いたさ」に
「一心不乱墓を掘り起こす」っていう…

もう
「キ○ガイとしかいいようのない」
「奇行に走る石川くん」だったのですが。

以来、
「彼女の亡霊」を
「お墓の前でよく見るようになってしまった」と…

……そらそうだわ!

今じゃ
「立派な犯罪」ですからね!


ちょっとまぁ…

ご覧の通り石川くんったら
「こんな人」でしたから…

「人生において強制的な障害が起こりやすく」
「失望感、絶望感、挫折感を味わうようなこと」が
起こりやすい宿命にあったことは確かです。

また
「一度犯した失敗」を
「何度も繰り返してしまったり」
「ここぞというタイミングでうまく動けず」
「折角のチャンス」を
「棒に振ってしまったり」なんてことも。

逆に
「本来なら動かなくていいタイミング」で
「焦って行動を起こし」
「失敗してしまうような不運」に
見舞われやすいといったことがあったのでは
ないでしょうか。

「自分の使える範囲を通り越して」
「浪費してしまう」っていう
「生まれながらの金運の悪さ」も
バッチリ出生図に刻まれておりました。


石川くんには
「浮気の次」に
「一生懸命になっていたもの」があります。

それが
「社会主義思想」なのですね。

社会主義思想とは
「自由主義経済や資本主義の弊害に対し」
「より平等で公正な社会を目指す」
「思想や運動、体制のこと」を指します。

1910年(明治43年)に起きた
「大逆事件」に衝撃を受けたことが
きっかけでした。

大逆事件とは
「明治天皇の暗殺」を計画したという口実で
「幸徳秋水らの社会主義者」が
「処罰された事件」のこと。

ですが、
密かに計画を企てていたことは認めましたが
実際のところ
「証拠となるような物証は出てきません」でした。

にもかかわらず、
「24名に死刑判決が下され」
「うち12名が処刑されてしまった」という
悲しい事件です。

この事件は
「社会に大きなショックを与え」
社会主義運動は
「厳しく弾圧された」のでした。

当時、
新聞社勤務の石川くんは
「独自に調べを進め」
「事件に関していくつかの評論を執筆しました」が
いずれも新聞には掲載されませんでした。

そこには本来、
こんなことが記さていたのです。

人間に必要なのは
時代や社会に追従して
上昇、出世することではなく
既成の物事を批評しながら
向上を目指す心である。


……めちゃくちゃ良いこと言ってるじゃないか!

「体たらくな私生活」との
「ギャップ」よ!!


実は石川くん、
「革新の星並び」を持っておりましてね。

「改革への情熱と溢れるエネルギー」、
「目的に対する強烈な目覚め」みたいなものが
あったのでしょう。

「古い体制を崩壊させ」
「新しい事物を創造し」
「目標達成」のためには
「疲れを知らぬ我慢強さ」があったのだろうと思います。

派手な女遊びの裏で
「民主主義と平和主義、そして福祉主義」の
「相互扶助の社会を目指していた石川くん」。

「全ての国民」が
「等しく幸福に暮らせる社会」を
「切望」していました。

と、同時に彼は
「自分の思想」が
「時代より一歩進んでいる」という
「自負があった」に違いありません。


石川くんが
思い描いていたものは
「平等性を尊ぶ思想」であり
また
「先進的で自由を尊ぶ」
「風の共鳴そのもののような思想」でありました。
(何気に石川くんは
風星座に天体が集中している「風の男」なのです)

素晴らしいですね!






「当時の社会情勢」と
「自らの病」によって
「自由な活動は阻まれて」しまいました。

ですが

彼は既に

「訪れるであろう未来」を
「見通していた」のだろうと思います。


『僕の野心は僕らが死んで、
僕らの子供が死んで、
僕らの孫の時代になつて、
それも大分年を取つた頃に初めて
実現される奴なんだよ。』





石川くん―――


あなたの詩歌は

あなたの死後、

教科書に載るほど

有名になりましたよ。



石川啄木

享年26―――


若き才能は

今もなお

時代を越えて

愛され続けています。






最後に―――

この歌を

石川くんに捧げ

終わりたいと思います。









尊敬はしません

いつまでも

愛すべきクズで

いてほしいから




あさがやりえ子