京都・滋賀旅行の最終日の5日は、大津市内を散歩しました。
三井寺のあと、京阪電車に乗って粟津駅まで行きました。
広重が書いた近江八景の1つ、粟津の晴嵐です。
当時と場所や風景がかなり変わってしまっているということでした。
広重の絵では粟津の松並木が強い風に揺れる光景だったと思います。
当時の風景が見れなかったのは残念でしたが、
広重は本当に松並木で晴嵐を表現したかったのかを考えてしまいました。
だって、松並木であれば粟津でなくても良かったのではと思うのです。
僕が粟津で思い出すのは、平家物語に出てくる木曽義仲の最後です。
木曽で挙兵し、倶利伽羅峠で大勝利を治め、ついには平家を京から追放し旭将軍と呼ばれた義仲。
でもその輝きは一瞬で終わり、ついには鎌倉の軍勢に追いつめられ、
この粟津の浜で討たれてしまうのです。
義仲のやったことは、まさに一陣の風のよう。
広重は比良山系から吹き下ろす風に義仲の姿を重ねて、
この粟津に「晴嵐」と名付けたのではと僕は思いました。
この青空と青い湖。そんな気がしませんか?