●「強みに関する大きな誤解」してました


6/27松原靖樹さんが強みに関してフェイスブックに投稿されていたのを、こちらでも紹介させていただきます。

 

 

【強みに関する大きな誤解】

ちょっと間違った理解が横行しているので指摘しておきます。
強みがイコール「ちょろい」というのは僕は言ったことがありません。ちょろい、イコール強みではありません。
強み関係なくしても僕は「ちょろい」という単語自体ほとんど使いません。

僕が基本的に説明するときはこう言います。
「能力は訓練によって後天的にできるようになったこと。に対して強みはほぼ先天的にできること」
「他の人には難しいが、自分には簡単にできること」

また、努力しなくていいなんて一言も言っていません。

~~~

強みは『人よりも高い成果を人より速く、労力少なく、スムーズに取れる』ということです。成果の関係しない強みはありません。強みは武器だからです。

「成果」が先天的に結びつきやすい。
「成果」が人には難しいが自分には取れる。
と、いうことです。

だから強度が強い強みほど、その強みを生かす工夫と努力、生かす能力の付加、組み合わせなどセンスの駆使によって、「強力な成果」が出せるのです。

努力のない、ただの先天性の発揮など、強みであっても成果はたかだか知れています。むしろ、それをオリジナルの成果に結び付けない「努力のなさ」を暴露しているようなものです。そういうのは「人格」に問題があるということです。

例えば、元々感性に優れている人にこういうことがよく見られ、全然鍛えていないくせに霊が見える程度でそれを仕事にする。
そんなのはギリ強みではあるとしても、全然成果ではありません。天下の名刀を使って大根のかつらむきしているようなものです。

~~~

自分を鍛えてより複雑なことができるようになれば、もともと持っている強みは「ありえない成果」を出すのは当たり前のことです。

ちょろさを求めるなんてのは最低です。
僕は一度もそんなことは言っていないし、「実際に」ちょろいことしかしていない人は軽蔑の目で見ています。人生に努力のないただのバカだから。
そんなのは楽をしたいだけ、怠けたいだけの、人間性の問題です。乱暴者に武器を与えるようなものです。

強みに真摯に向き合えない人間性しかないなら、最初から二次としてサラリーマンや工場勤めをし、あるいはごく一般的な主婦として旦那の悪口を言い、文句を言いながらもそこそこ平和な現実を享受して、社会に必要な歯車として生きていってください。
その方がいくらもマシです。

~~~

最後にもう一度言いますが、強みは「ちょろい」「楽勝」なのではなく、「成果が高い」ということです。
だから何かの強みの原型を持っているなら、訓練し、考え、応用すれば「高すぎる成果」を導けるものです。
その「高すぎる成果」は誰も、2度と、絶対に真似できるものではない、ということです。

強みに卓越している人は「当たり前」にやっていることです。

 

 

この投稿をフェイスブックでみて、

 

「やばい、私のことだ・・・。」

 

と思った。

 

なぜなら「 強みって、ちょろく使えるやつじゃなかったのか? 」とブログに書いたばかりだったから。

 

そのブログをフェイスブックに松原さんをタグづけして投稿していたからみつかったのだ。

 

松原さんがイラっとしてる気配にゾゾっとはするが、誤解を改めるような詳しい解説をしてもらえたのはありがたいことである。

 

私にとっては予期せぬ成功である。

 

こっそり言っておこう。

 

「松原さん、ありがとうございます。」

 

 

そして今回思ったのは、

「“強み発掘”と言うけれど、ほんと発掘だな。」

 

掘って出されたのが大根なら洗っただけでかじりつくこともできるけれど、ダイヤモンドならその強みが使えるようになるまでに様々な工程が必要。

 

 

 

 

 

 

磨いてこそ、使える強みがある。

 

 

 

 

 

 
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