なんだか本題からズレてきてしまいました。

息子ちゃんの進学先として、宗教校を選ぶ場合、複雑な思いがあるのです。

 

 

  キリスト教主義学校とは

おそらく、どこのキリスト教主義学校でもそうだとおもいますが、学校側は生徒に「信者」になってもらうことを期待していません。

どの学校も入学してきた子たちが幸せに育って行って欲しい、と願っており、どこかで学校での教えが生きてほしいと願っているとは思いますが、仮に日曜日に教会に行くことを勧められ、教会に行ったとしても、そこでも布教されることはないはずです。

何故なら信仰を持つということは「縁」というか、適切な表現か分かりませんが、偶発的なものであり、教育して「獲得」するものではないからです。一方的に勧められても芽生えるものではないと思うのです。

 

本来、礼拝やお祈りも、自発的なものであるはず。

 

 

  カトリック校 成立背景の違い

私はカトリックなので、カトリック系学校についてしか詳しく知らないのですが、同じカトリックでも、運営する修道会によってカラーはだいぶ違います。

 

例えば、サレジオ学院を経営するのは、サレジオ会。

19世紀、産業革命やイタリアの国家統一といった社会混乱に巻き込まれた子供たちが良い教育を受けられないまま、劣悪な環境で働かされ、不当に投獄されたり、非行に走ったりする姿に心を痛めた司祭、ドンボスコが、青少年の居場所として作ったオラトリオに、教育活動の端を発しています。

 

オラトリオと呼ばれる場所で、教育や遊びを共にし、子どもが健全に育つためにはどうしたら良いかを試行し続けてきたドンボスコ。

「子供を愛するだけでは足りない。子供が愛されていると分からなければならない。」

「親しみがないなら、愛が示されません。愛が示されないなら、信頼は望めません。」

「私は君たちが青少年というだけで君たちを愛する」

などなど、数々の名言を残しています。

 

サレジオ会の学校に行くと、神父さんは一緒にサッカーゲームやビリヤードなどで子供と一緒にいっぱい遊び、勉強も一生懸命しています。

いつも若者と共に歩み、良い人間になることを目指していく、というような特色があるようです。

 

一方、栄光学園を運営するイエズス会。

成立は16世紀、宗教改革でカトリックの権力が衰退の危機にあった際、教皇に忠誠を誓い、世界宣教を目指した修道会です。

設立したのは、名門、パリ大学で学んだメンバー。

全世界に行って若者に高い教養を身につけさせ、国のリーダーとなるような優れた人材を生み出すことが目的だったはず。

 

日本では、上智大学がありますが、元々のイエズス会の得意分野は青少年教育です。

ここのグリン神父の生み出した、プログレスという英語教材はやはり高度で高尚なもので有名ですね。

 

 

  変わる宗教校

 

以前は学校敷地内に修道院があり、何人もの司祭、修道者がそこに住み、学校に勤務していました。

修道者たちは修道会の目的のため、私有財産を持たず、生涯独身を貫き、子供たちの教育のために全人生をかけています。

 

しかし、いまやサレジオ学院でも、勤務する司祭は4人。

栄光学園に至っては司祭ゼロという、(信者としては)とても残念な学校になってしまいました。

 

やはり、修道者の簡素でまっすぐな生き方は、存在だけでも感銘を与えるものがあります。

 

今や、宗教教育を期待して、キリスト教主義学校を選ぶ人がどれだけいるでしょうか。

聖光学院が今神奈川の最難関校になっていますが、勉強に対するフォローの手厚さや芸術活動など課外活動にも力を入れていることばかりをアピールして、「宗教色」を排除しているようにも見えてしまいます。

多くの人の価値観も、時代と共に変化しているのかも知れません。

 

 

  息子の進学先として考えた場合

もし、息子がキリスト教主義学校に進学を考えた場合。

半分、賭けのような感じがしています。

 

何故なら、学校での宗教教育によって、宗教が嫌い、になることも考えられるからです。

親としては、せっかく宗教校に入れたのに、と残念に思えてしまいそう。

それに、多くの学校では、宗教関連の授業は、受験に関係のない「頭を休める時間」になってしまっているみたい。

 

やはり、学校を構成するのは、教師であり、生徒。

そこにいる人とうまくいかなければ、宗教教育の受け入れも難しいと思う。

 

そういえば、サレジオ学院には名物校長、河合恒男神父がいましたが、数年前60代の若さで亡くなってしまいました。

入試の際、繰り上げ合格の子は、1人ひとり手続きするので、校長から必ず、繰り上げの子だけに手紙をつけ、

「今まで待たせてごめんね。君のいいところをみんなで探していたので時間がかかってしまいました。4月から君は立派なサレジオ生です。一緒に勉強して行きましょう」と伝えていたのだそう。

 

男の子は、ゆっくり、長い時間をかけて成長するのだから、後で大いに伸びる。ギリギリで受かったことに劣等感を持たないで欲しい、という配慮からだそう。

 

学校の魅力も、やはり、教師の魅力によるところが大きい、と感じます。

 

栄光学園も、司祭が1人もいなくなってしまったことに嘆く同窓生も多い模様です。

 

「今、この時代に、宗教校に入れることの意味って?」と、まだまだ悩むことになりそうです。