壇ノ浦入水場面 高松平家物語歴史館罪人である重衡に私信は許されなかったので、大納言典侍への伝言を、院宣の使者重国に頼んだ。
「都を離れて屋島にいても、あなたは私がいることで心を慰められ、私もあなたに慰められてきました。だが、お別れしてから、あなたはどんなにか悲しんでいられるでしょう。
でも、『契りは朽ちることはない』といいます。来世でも必ずお目にかかりましょう」。泣きながら語り終えると、重国は重衡の様子が哀れで、涙を抑えて立ち上った。
評議の結果、宗盛らは母二位の尼の懇願を退けて、重衡と三種の神器との交換を拒否した。
二位尼⑪重衡と三種の神器 ← 参照
後白河にとってもはや利用価値のなくなった重衡は、源頼朝の要求で鎌倉へ下向する。
こうして、重衡と大納言典侍は、時間的にも空間的にも大きく離れ離れになった。
元暦2(1185)年3月、壇ノ浦の戦いで平家は全滅。
大納言典侍は、内侍所 (八咫の鏡) を入れた唐櫃を抱えて二位の尼らとともに入水したが、源氏の武士に海から引き揚げられ、建礼門院とともに捕虜となって都へ戻される。
それから山城国の日野 (京都市伏見区) に住む姉の邦子 (大夫三位) を頼って日野に隠棲した。
そして、重衡がもし生きていたら是非もう一度夫の姿を見たいと念じながらも、会えぬ悲しみに明け暮れていた。
一方、鎌倉へ送られた重衡は頼朝から思わぬ厚遇を受けるが、南都焼き討ちのことで衆徒からひどく憎まれており、今度は奈良へ引き渡されることになった。
源頼政の孫頼兼によって、鎌倉から奈良へ護送されるが、罪人である重衡は都へは入れず、大津から山科を通って醍醐路を経て、奈良へ向かうことになった。
醍醐から、日野は近い。
醍醐寺に近づくあたりで、重衡は護衛の武士に頼んだ。
「色々世話になったが、最後にもう一つ頼みがある。私には子がないので、思い残すことはない。
ただ、長年連れ添った妻が日野に住んでいる。後世のことを話しておきたい。会えるだろうか」
鎌倉武士も木石 (ぼくせき 情を解さないもの) ではない。
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涙ぐみながら、「北の方様なら、何の問題がありましょう」。
重衡は喜んで日野を訪ね、人を遣わして伝えさせた。
「大納言典侍様は、こちらにおられますか。重衡様が、お会いしたいと申しておられます」。
大納言典侍が、「どこに、どこに、重衡様が」
走って来ると、藍色の直垂と折烏帽子姿の、痩せて黒ずんだ男が立っている。
見慣れた、きらびやかな公卿の出で立ち (身なり) ではない。
「どうして、どうして。夢かうつつか。こちらへお入り下さい」
懐かしい妻の声を聞くと、重衡の目に涙がにじんだ。
目を見合わせると、とめどなく流れる涙がふたりの視界を霞ませる。