平家物語の群像 平重衡⑲阿弥陀如来に語り | 吉備路残照△古代ロマン

吉備路残照△古代ロマン

吉備路自転車道を回って以来すっかり古代吉備国の残り香に取り憑かれました。
歴史と神話が絡み合っているから多くの遺蹟の故事来歴が謎に包まれています。
鬼ノ城・温羅伝説・鳴釜神事等の謎に新しい解釈を加えていけるので楽しみです。

$吉備路残照△古代ロマン-阿弥陀来迎図  阿弥陀来迎図

興福寺の衆徒らは、鎌倉武士から重衡の身柄を引き取ると、処分について評議した。

「重衡卿は大罪を犯した極悪人で、ついにその報いを受けるときが来た。仏敵、法敵の逆臣だ。東大寺と興福寺の大垣のまわりを隅々まで引き回し、生きながら首まで地中に埋めて首をはねるか、それとも鋸で首を引くかすべきだろう」

衆徒の中からは、そんな荒っぽい意見もでた。

しかし、最後は、老僧たちの、「そういう乱暴なやり方は、仏に仕える僧としてはどうかと思う。ここは武士に引き渡して、木津の辺りで斬らせるのがよかろう」という意見にまとまった。

武士らは重衡の身柄を受け取って、木津川の端でいよいよ斬ろうとしているところへ、衆徒や武士、見物人らが群衆をなして集まって来た。

重衡に数年来仕えている武士に、知時という者がいる。

八条の女院 (鳥羽天皇皇女) にも顔を知られた者だが、重衡の最期を見届けようと、都から馬にムチ打って駆けつけてきた。

そして、まさに斬られようとしているところに到着し、急ぎ馬から飛び降りると人々をかき分けて、重衡に近づいた。

「殿、知時が、殿の最期を見届けるために参りました」

「知時の気持ち、とてもうれしく有り難く思う。ところで、一つ頼みがある。今のままでは、私自身あまりに罪深く思えるので、仏を拝みながら死にたい。何とかならないだろうか」。

「承知しました」というと、知時は警護の武士に話をつけて、近くの里から仏を一体、お迎えした。

仏は、幸いにも阿弥陀如来。川原の砂の上に据え、知時が着ている狩衣のくくりひもを解き、片方を阿弥陀如来の手におかけし、もう片方を重衡に持たせた。

重衡は、阿弥陀如来に語りかける。

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「お聞きしたことがあります。調婆達多 (提婆達多) は三逆罪を犯し (生きながら無間地獄に落ちるといわれる)、無量の法門 (仏の教え) を蔵する経典を焼き滅ぼしてもなお、
釈迦から来世で天王如来になるといわれました。

罪業はまことに深いものですが、そのことが仏道に入る機縁となり、尊い教えに導かれて悟りを開き、往生を遂げたといいます。

わたしが犯した罪は、私の本意ではありませんでした。世の習いに従ったまでです。この世に生を受けた者の誰が、王命を断ることができましょうか。この世に生きる者の誰が、父の命に背くことができましょうか。

勅命と父の命令には、逆らえません。




           視聴率がずいぶん低いようですね。