
『平家物語』は、義仲が基房の娘の藤原伊子(いし)を強引に自分の妻にしたと記しているが、実際は復権を目論む基房が、義仲との関係を強固にするために娘を嫁がせたようだ。
伊子は、のちに源通親(みちちか)の側室となり、曹洞宗の開祖・道元禅師を産んだとも言われている。
伊子という女性をはさんで、義仲と道元というビッグネームが繋がっていることに意外性があって興味深い。
また曹洞宗の大本山・永平寺が、北陸地方は福井県の山の中にある理由を詮索したくもなる。
11月28日、新摂政・師家が下文(くだしぶみ)を出して、前摂政・近衛基通の家領八十余所を義仲に与えることが決まり、中納言・藤原朝方(ともかた)以下43人が解官(げかん;解任)された(『玉葉』29日条)。
12月1日、義仲は院御厩別当となり、左馬頭を合わせて軍事の全権を掌握。
10日、頼朝追討の院庁下文を発給、官軍の体裁を整えた。
翌年1月6日、鎌倉軍が墨俣を越えて美濃国へ入ったという噂が流れる。
15日、義仲、征東大将軍に就く。
木曽出陣以来、上洛途上において多くの勢力を糾合してきたが、今や行家をはじめ多くの武将が離れてしまっている。
だから、なおさら軍事権を握っているかのような体裁を整えたかったのかも知れない。
義仲は平氏との和睦工作や後白河を伴っての北国下向を模索するが、源範頼と義経の率いる鎌倉軍が目前に迫り開戦を余儀なくされる。
京の防備を固めようとするが、すでに従う兵は少なく、宇治川や瀬田での戦いに惨敗。
戦い敗れた義仲は今井兼平や巴御前ら数名の部下とともに落ち延びる。
そして、最期を迎える近江国粟津の松原(滋賀県大津市)。
登場人物は、木曽義仲と今井四郎兼平のふたり。
『平家物語』でも出色の名文で綴る。
中学か高校の教科書で読まれた方も多いだろう。
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