麻人-asabito- -18ページ目

麻人-asabito-

大麻草でマニフェスト

綿から化学繊維へ
この流れの
まずは「綿」時代の様子

朝日新聞経済部のまとめた書籍から

-------------------------------------------------

第二次世界大戦後、焦土の中から不死鳥のごとくよみがえった日本の繊維産業―。朝鮮動乱で大もうけをしたあとの反動不況は、その後繰り返される操短と構造改善の始まりだった。近江絹糸の労働争議を経て、合繊の進出による繊維間競合、大型合併、日米繊維交渉、さらに開発途上国の追い上げなど、戦後三十年余りの間に、業界をゆるがす事件、経営環境の変化が相次いだ。かつて最大の輸出産業だった繊維も、いまや苦渋に満ち、斜陽の道をたどろうとしているように見える。そこで、関係者の話を聞きながら、主要な出来事を中心に戦後の歩みを振り返り、新しい発展の手がかりをたぐってみた。

〔技術革新と構造不況〕
  壁厚い「設備過剰」―切り札新鋭機も泣き所

「綿をほうり込めばほとんど人手をかけないで糸になる」―画期的な紡績機械とはやされた連続自動紡績装置(CAS)を、東洋紡績が明石工場で公開したのは、35年の10月のことだ。開発に約5年かけて、それまで6~9工程必要としていたのを、前紡、精紡の2工程に合理化、人手が半分に節約できるというのだ。当時の新聞は「この装置がコスト引き下げの面で今後すばらしい威力を発揮するのは請け合い。綿紡斜陽化の壁を破りたい」と東洋紡は胸を張った、と伝えた。
 <自動化ブームわく>
 35年といえば、故池田首相が「所得倍増論」を初めてぶち上げ、計画として発表していた年である。紡績工場の労働力の中心である中学卒の女子は、ひっぱりだことなり、繊維業界は地方に求人キャラバンを繰り出し、デラックス寮をつくるなどの動きもみられた。一方、石油化学、エレクトロニクスをはじめ産業界の技術革新が急ピッチに進むなかで、どちらかといえば紡績業界は遅れをとっていた。CASの発表は内外に大きな反響を呼んだ。
 米、英などの海外紡機メーカーから引き合いが殺到、そのなかから東洋紡は米サコロウエル社に技術供与する。国内では、CASの開発を一緒に進めた豊和工業と共同出資して販売会社を設立、名古屋の紡績工場にプラントを売り込むのに成功した。同業他社も大いに刺激された。その後、NASS(日東紡)、TAS(豊田自動織機)、DASS(大和紡)などが相次いで生まれ、業界を紡績の連続自動化ブームに巻き込むことになる。
 繊維業界に構造不況の様相が強まってくるのもこのころだ。内需、輸出ともふえているのに、供給過剰が一向に解消せず、操短は年中行事のようになる。その遠因は25年に朝鮮動乱が起きて4百万錘設備制限が撤廃され、新規参入が自由になり、紡機が急激にふえたことにある。
 <なだれ打つ新々紡>
 設備制限撤廃当時、十大紡と新紡二十五社だった業界には、糸へんブームのうまみにあずかろうと、新々紡と呼ばれる中小業者が続々参入し、27年末には122社を数える乱立状態。この間、既存業者の増設も加えて、約390万錘だった設備は750万錘とほぼ倍にふえた。
 31年、繊維工業設備臨時措置法ができ、それに基づいて34年には約900万錘の綿紡機のうち125万5千錘が格納されるなど長、短期の設備休止も繰り返された。しかし、これは設備の高能率化に一層拍車をかけ、過剰設備の解消には役立たなかった。供給があり余る中で競争に打ち勝つには合理化によるコストダウンしかない。その行きつく先が個々の機械を連結して自動化し、人手を省く連続自動化装置だった。
 <途上国追い上げ急>
だが、連続自動紡績方式も壁につき当たるのは、以外に早かった。40年代に入り、個々の機械の回転数などの性能が向上し、全体の設備を効率的に連結するのが難しくなる。とくに風合いをよくするコーマー工程を省き、量産向きの中級品までしかできなかったため、人件費が安く、低、中級品の太番手糸に強い開発途上国の追い上げに太刀打ちできなくなった。東洋紡が36年浜松工場に完成したCASシステムは50年5月、ついに閉鎖された。
 CASの開発に参加した井上重男副社長は「システムとしての歴史的使命は終わったが、吸綿装置、自動玉揚げ機などいまもCAS開発の技術は新鋭忠岡工場などに生きている。それに発表当時、世界中にショックを与え、単体機械の性能向上をうながした意義は大きい」と名残惜しそうだ。
 40年の春、チェコスロバキアの繊維関係会議に出席した大和紡績の小西高雄常務は耳よりなニュースを聞き込む。チェコとソ連が共同で多額の資金をつぎ込んで、従来の方式とはまったく異なる紡機を開発した、というのだ。それ以来、小西氏は何回もチェコに出向いて情報の入手につとめ、ついに新しい紡機が「空気精紡機である」ことを突きとめる。従来のリング方式と違って、高速回転するローターに綿を空気で吸い込み、糸とするので、性能が一挙に三倍となるという点が魅力的だった。
 <能率は一挙に三倍>
「おそまつな糸と織物を見せてくれるだけで、機械は見せてくれない」(小西常務)という不利な交渉を通じて、大和紡は42年5月に技術導入の契約を結ぶ。それからチェコ製の機械を入手して36件の特許改良を重ね、工業化にこぎつけた。43年の福井工場を皮切りに、いま同社の設備の半分はこれに置き替えられている。小西常務は「現在40番手まで生産が可能になった。次の目標は60番手まで高級化することだ。リング精紡に比べ設備費は2倍かかるが、能率は3倍。今後、紡績の進む道はこれしかない」と大変な熱の入れようである。
 だが、空気精紡機も太番手中心なことが泣きどころ。糸の強度に難点があり、40番手級になるとニット用などの特殊用途に限られているためだ。逃げても逃げても開発途上国に追い上げられるこのつらさ。日本の紡績業界は労働集約型産業の壁を破れるだろうか

【構造改革】繊維産業の本格的な設備過剰対策は、31年10月に施行された「繊維工業設備臨時措置法」(繊維旧法)に始まる。39年10月には機屋など中小企業対策を中心とした「繊維工業設備等臨時措置法」(同新法)が施行。42年8月の「特定繊維工業構造改善臨時措置法」では構造改善を主に強化された。三つの法律は過剰設備の処理、設備の近代化、転廃業の促進などを行うものだが、いま再び、通産省の諮問機関である繊維工業審議会が“構造対策の決定版”を51年の秋までに作成の予定。

『一千万人の繊維-明日の繊維産業と衣生活を探る-』(朝日新聞経済部)1976年

-------------------------------------------------

工業化の頃のお話って
せつないね

ふるしょうふみえ拝