麻人-asabito- -17ページ目

麻人-asabito-

大麻草でマニフェスト

紡績(綿)の時代から化学繊維の時代へ入っていきます

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〔合繊時代の幕開け〕
  競って新技術導入―先行東レ、独占で“苦汁”も

 「僕は運がよかった」。85歳になる東レの田代茂樹名誉会長は、長期不況にあえぐ現経営陣の苦悩をそばで見ていて、「これからは低成長の時代。過去の経験も役に立つまい。大変だろうな」と同情の念にかられる。
 田代氏が会長だった26年、東レは米デュポン社からナイロンの製造技術を導入して企業化、これがバカ当たりして、一化繊会社から一躍わが国のトップ企業にのし上げた。つぎのポリエステルも順調に伸ばし、30年代の輝かしい合繊時代に先べんをつけた。

<もうけすぎ不眠症>
 東レは戦前すでに独自でナイロンの合成、紡糸に成功していたが、実は昭和13年に「デュポンが絹の靴下にまさるナイロンをつくったというニュースを新聞で知り、製品を取り寄せ、分解して、つくり方をつきとめたんだ」と田代氏。しかしディポンの特許に触れないように“逃げ”ていたので、戦後いち早く技術導入を決心する。「何回もデュポンに手紙を出したが返事がない。ところが、三井物産を通じて当たったら、とたんに態度が変わり、計画書を出せ、といってきた」。戦前から世界に知られた三井の名が大きくモノをいったわけだ。
 日本での独占特許実施権は、当時の資本金7億5千万円を上回る10億8千万円。大きな決断だった。「米国で、はやっているから必ず日本でもはやる」―戦前物産マンだった勘から踏み切ったという。
 ナイロンは、27年ごろから急速に伸び、早くも30年には、全売り上げの60%とレーヨンをしのぐ。独占の強みで、建値制を貫くことができたため、繊維業界の不況をシリ目に高い利潤を維持し法人所得番付で、29年には上位30社の中にも入っていなかったのに、30年には日銀に続いて一躍2位。以降3年間、民間企業トップの座を占める。田代氏が「もうけすぎて、かえって不安がこうじて不眠症になった」経験を持つのもこのころだ。
 東レは「室町通産局」といわれ、その尊大ぶりは「まるで絶対君主みたいだった」とある商社幹部。田代氏もやがて、気づく。不眠症でしばらく会社を休んで出てきたら「若い連中がやけにいばってるんだ。これはいかんと思った」。日本レイヨン(当時)がスイスのインベンタ社の技術で、30年に新規参入を果たしたとたん、それまで東レではナイロン1に対し1.7の原料(石炭酸)を必要としていたのが、0.5ですむようになった。このことも田代氏に「独占すると勉強しなくなる」という思いを深めさせた。

<夫人の買い物が縁>
 20年代の後半、東レのナイロン独走に、同じ化繊メーカーの帝人は大きく水をあけられていた。主力のレーヨンが衰退しはじめ、社内の空気はよどみ、老大国といわれていた。大屋晋三社長(当時会長、参院議員)は回想する。「ナイロンで遅れをとったのがくやしくて、夜も眠れなかった」
 その大屋氏に、運命的な出会いが訪れる。28年に訪米したさい、同伴していた政子夫人が買ってきたひと抱えの衣類の中に、はだ触りの変わったブラウスを見つけた。デュポン社が商品化したばかりのポリエステル製品とわかり、跳び上がって喜んだ。さっそくデュポンに電話で問い合わせ、特許実施権を英ICI社が持っていることを知る。
 そのときすでに、東レの田代氏はICI社に接触していた。結局、交渉の途中でライバルは手を結び、32年共同導入に成功、「テトロン」という共通ブランドをつけ、「販売は強調、技術は競争」の路線を歩むことになる。田代氏は「ナイロン独占で味わった苦い思いがあったからだ」と冷静に説明するが、大屋氏は「オレがポリエステルを見つけなかったら、帝人はどうなっていたか。思えば身の毛がよだつよ」と、いまも興奮気味だ。
 以来20年、ポリエステルは、乾きが早い、しわがよりにくい、いろんな素材と混紡が可能、といったすぐれた特性もさいわいして急速に伸び、いまや同社最大のドル箱。大屋氏は「テトロンでは、品質で勝負してやろうと20年がんばった。ようやくスッとしているんだ」と、81歳ながらまだまだヤル気十分だ。

<「夢の繊維」は夢に>
30年代、新しい合繊原料となった石油化学が急成長する。ナイロン、ポリエステルの先発組みの成功は、化繊紡績両業界を、新しい合繊獲得ラッシュに巻き込む。三大合繊のひとつアクリルは、32年国産の鐘淵化学一社だったのが、35年には六社が出そろう。32年から35年にかけては、「夢の繊維」が流行語になったがポリプロピレンの技術導入を目ざして、伊モンテカチーニ社への業界入り乱れての“モンテ”参りが展開される。
 乱戦の末、東レ、三菱レイヨンとともにポリプロピレンの導入に成功した東洋紡績の河崎邦夫会は「ポリエステルではわが社もICI社に接近していたが、十億円の技術導入料をふっかけられて、あきらめた。それが残念で、ポリプロピレンには懸命だった。やった、と思ったんだが・・・」と苦笑いする。ポリプロピレンは、染色性に問題があり、衣料用繊維としては発展せず、一場の夢に終わった。本格的な新合繊は、その後出現していない。

【三大合繊】
50年の繊維糸生産量(天然繊維を含む)は181万トンで、うち化合繊63.7%(ただし合繊と天然繊維の混紡糸を含む)を占める。また、ポリエステル、ナイロン、アクリルの三大合繊は、化合繊全体の66.59%に上る。トップはポリエステルで30.66%、続いてナイロン19.18%、アクリル16.77%の順。40年の三大合繊の割合は33.89%だったので、この十年の間に市場占有率を倍に伸ばしたことになる。数字は日本化学繊維協会調べ。

(『一千万人の繊維-明日の繊維産業と衣生活を探る-』(朝日新聞経済部)1976年より)

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わたしはこの「特許」というシステムを手放しで肯定できません
人間が愚かな時代には必要なのかもしれないけれど

それから「夢の繊維」という表現が
いわゆる原発の「夢のエネルギー」と同じ視点で語られていて

この時代マックスに悲しい

大麻草を社会全体で享受すると
循環型が定着して
夢ではなくて現実を見据えるようになると思います

ふるしょうふみえ拝