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麻人-asabito-

大麻草でマニフェスト

日本の繊維産業が弱くなってしまったプロセスをみています。
今回は総論の最後。国との関わり方です。


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政府依存の体質
 
歴史的に振り返ってみると日本の繊維政策は、アパレル産業を育て、デザイン能力の蓄積をアパレルでもテキスタイルでもきちんとすることの重要性を、すでに70年代の前半の繊維ビジョンで謳っている。繊維産業のビジョンの大きな転換を訴えているのである。
 
そのビジョンどおりに政策の現場が動き、政策資源の配分が大胆に行われていれば、おそらく「歴史の必然」は起きなかったと思われる。日本にファッション性の高いアパレル産業が育ち、それを支える織物産業が中核的な役割を果たしていただろう。

しかし、実際の政策はそうは動かなかった
それとは逆に、70年代から80年代前半にかけての日本の繊維政策は産業の政府依存体質を本格化させてしまい、産業構造を変えながら国際競争力を強化するエネルギーを産業内に生むことに失敗したと思われる。

第二次世界大戦の敗戦直後にとって、繊維は輸出産業として圧倒的なリーディング産業であった。
そこで、国の復興のための外貨獲得のために繊維産業をさらに振興する政策が数多くとられたのである。

その中にはじつに大胆な合成繊維産業育成政策もあった。

その典型例が、国の通商政策としてのセーフガードの発令である。
セーフガード措置とは、国内産業の申請に基づき、急激な輸入増加による混乱から国内企業を守るために、政府が輸入を制限できる措置である。
輸入攻勢による国内企業の倒産を防ぎ、雇用を守り、さらに繊維企業の集積している地域社会を混乱させないための政策的措置、といっていい。

産業政策とは、「産業を発展させるための政策」である。
一方、産業にかかわる政策としての社会政策とは、「その産業にかかわって生きる人々の社会を安定的に導く政策」である。

通産省がとってきた戦後の繊維政策の中で、産業政策と社会政策の間のウエイトは歴史的に大きく変化してきたといっていいだろう。

繊維産業は「育成すべき産業」から「守るべき産業」へと変化を遂げてきたのである。

社会政策が「保護」という目的をむき出しにして実行されることは少ない。
産業の育成・発展のための緊急避難措置という建前で政策は打ち出されることが多い。
しかしそれは、「産業政策」という名のものとじつは「社会政策」なのである。

そしてその政策の結果、産業の国際競争力が長期的には低下していく傾向に歯止めがかけられなくなる。
保護が甘えを生み、さらに過去の利害関係の固定化を招き、いずれも発展への努力の障害になってしまうからである。

現実に、織物産業に対して、70年代には大きな社会政策措置がとられてしまっていた。
それは、「糸を売って縄を買った」とその後長く語り継がれることになる、沖縄返還とワンセットにされた日米繊維交渉による日本から対米輸出規制への補償であった。

設備登録制という織機を政府に登録して使用するという恐るべき制度を使って、設備廃棄の名目で巨額のカネが繊維産業に渡ったのである。

その設備登録制という政策自体、過度の政策介入の象徴にも思える。

不況カルテルからのカルテル破りを防ぐために50年代に作られた制度は、その後もなんと95年まで四十年以上も続いた。
そして設備登録権は、売買市場が生まれてプレミアム化していった。政府の介入が保護となり、企業に政府規制への依存体質を生んでしまった例である。

そして、もっとも恐ろしいのは、一つの政策が意図せざる結果として次の政府依存体質を生むことである。
たとえば、戦後まもなくの合成繊維育成政策は、国全体の繊維供給という点では合理的な政策だったが、しかしそれは天然繊維と合成繊維の間の競合関係の中で一方に政府が肩入れしたことになった。
それへの補償として、天然繊維側が「それなら自分たちにも何か政策的措置を」という要求を出すことになる。

依存体質の種がここにある。

そしてこうした傾向を決定的に助長したのが、「糸を売って縄を買った」といわれた日米繊維交渉の後遺症としての補償要求であったのだろう。
私自身、97年の繊維産業審議会という公の席で、複数の業界団体代表者が沖縄返還時の日本の繊維産業の犠牲を引き合いに出して「政府には繊維産業に対する責任がある」という発言をしたのを聞いて、驚いたことがる。

二十五年以上も過去のことをまだ引き合いに出す体質に驚いたのである。

こうした政府依存体質の産業であれば、歴史の必然が過酷なほどの具現化されるのも不思議ではないのかもしれない。

(『日本の繊維産業 なぜこれほど弱くなってしまったのか』(伊丹敬之+伊丹研究室)2001年出版より)

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日本の繊維産業の切り札が
沖縄返還の交渉材料になっていたとは
わたくしまったく知りませんでした。

国家という枠組みで動くと
つぶされる可能性もあるという意味でも勉強になりました。

人間はまさに試行錯誤している最中なのだろうけど
豊かさを分かち合うのに適した社会規模というのがあると思う。

わたしはこれまで生きてきて
「日本」という枠組みには愛想を尽かしてしまったので
今は熊本県という可視性の高い域での考察を試みようとしています。

もしかしたら「九州」の方がベターかもしれない。
それはすすめていく上で変化可能として。
信頼できる土地柄。
自給性の高い土地柄。
人間が社会を構成するために必要な要素だと思っています。

貧しい土地に生きると
ケンカしちゃうでしょ。

他に奪いにいったりね。

豊かな土地でありあまるモノは
無償の精神で外へわけていくのがベストだと思う。

読んでくれてありがとう

ふるしょうふみえ拝