今後の世の中において、2人に1人がうつ病になる可能性がある、という言葉をある方が言っていて、朝雨はびっくりしたり、そんなものなのかもしれないなぁ、と思ったりしました。




そこで朝雨流ではありますが、うつ病かな、鬱っぽいって思った時の対処法について述べたいと思います。

これは個人的なものですので、役に立つ人に役立てばいいかなと思っています。





1、まずは休息。


2、太陽を浴びる。


3、希望の細い道標を見つけて歩き続ける。





補足的に説明したいと思います。

自分が辛い時にやりたいこと、やらない方がいいこと

時間をかけた方がいいこと、かけない方がいいこと

実はいっぱいありますが、シンプルに3つ選ぶとしたら、この3つのアドバイスを今の朝雨は選ぶと思います。




1、まずは休息 について


うつ病かな、鬱っぽいな、と思った時、又はその最中にいるとき、1番大事なのは休むことです。

物理的に睡眠を取ったり、規則正しい起床時間を心がけたり、食事の偏りを抑えたり。

刺激物や嗜好品を控えたり、とにかく肉体的な身体と精神的が安らぐことを優先します。


とにかく今までが、自分のキャパ以上に酷使してしまった、ということを思い出し、今の自分を出来る限りお姫さま、王子さまのように甘やかしましょう。


甘やかし方は、上記の通り、過去のあなたの甘やかし方とは違うかもしれません。

お酒やギャンブル、オシャレやアニメやアイドルの推しにお金つぎ込むようなことではなく、自分本体にのみ、優しくしてあげるのです。


ゆっくり湯船に浸かる時間を取ったり、ベッドの枕周りには何も置かないようにしたり、まずはリラックス出来る環境を自分の周りに作りましょう。







2、太陽を浴びる。


太陽を浴びることと鬱病には、相関があることが知られています。

朝日を浴びて、脳内に幸せを感じる脳内ホルモンが出るとか、体内時計をリセットするとか、いいことが沢山あります。


しかし鬱の時はどうしても引きこもりたい、出来る限りぐっすり寝たいということで、暗い部屋に閉じこもってしまいたいと思う人も多いかもしれません。


そんな時は自分の周りにカタツムリのように殻があることをイメージします。外界に何か嫌なことしんどいことがあったら、その殻の中に瞬時に潜ります。そのスピードはカタツムリであってもマッハのスピードで潜り込むのです。

寝る時は快適で暖かい殻に潜って、ぬくぬくと眠るイメージで寝ます。

安全の中に瞬時にいられると思うこと、自分の安全感覚をコントロールできるようになるのがとても大事です。


余談ですが、カタツムリの殻はいろんなときに使えます。

外界で敵に会ったときには、まず逃げるように訓練しましょう。


例えば、モラハラする人間に攻撃されたような時は、すぐにトイレに行きましょう。

「朝から胃腸の調子が悪くって…」って言えば大丈夫。

そもそも、必要以上に他人の人権を否定する人の方が人類のルール違反をしているのです。言葉を遮ってトイレに行くぐらい、問題なしです。


なおも言い続ける時は、振り切って低い声で「うう…」って演技してください。

トイレに行ったら、10分以上は篭りましょう。トイレに着いたら、上司のことは忘れ、カタツムリの殻に潜るイメージをします。

十分に安全を確保できたと思えたら、ジャーーと水を流して戻りましょう。

尚も粘着しそうな気配を相手が見せたら、こちらもその行動を繰り返しましょう。


相手が呆れて諦めたら、こっちの勝ち

怒り出したら、めちゃくちゃ申し訳なさそうに、「最近胃腸炎拗らせちゃって…過敏性の腸炎なんですよ。原因わからないんですけどね…」って言います。

やんわりと相手の責任なのかなと思わせることで、相手に罪悪感を持たせます。





で、話を戻しますが、


思い切ってカーテンを開きっぱなしにしたり、寝る場所を移動して、朝日を浴びる場所に寝てみましょう。朝日と共に目覚めるようなハードルの高いことはしません。

ただ光合成をする植物のように、肌や顔に朝日を浴びる環境を作ります。

朝日さえ浴びれば、身体はリセットされます。

太陽の光は、瞼を閉じていてもちゃんと明るさとして体感できますし、目を開けて確認せずとも、勝手に自律神経は整い始めます。免疫力をあげるビタミンDも作られます。



騙されたと思って、半年から1年、継続してみてください。意志の力ではなく、自分の身体のシステムを信頼しましょう。






3、希望の道標を見つけて歩き続ける




これは精神的な考え方のようなものですが、


鬱になってしまった時、鬱病になってしまったとき、そこからは貴方の中で心について、身体について、自分について、世界について、さまざまなことを知る長い旅に出たようなことなのです。


例え過去のことに囚われ、戻っていったとしても、その道は先へ進んでいます。

一歩も歩けず、苦しいともがいてたとしても、その場足踏みの一歩だったとしても、旅は進んでいるのです。



誰かの旅ではなく、自分自身の旅を歩くときに、小さな希望の光のようなものが、必ずあります。

心の目を開き、耳を澄ませ、気がつくことが助けてくれます。

必ずあります。




遠く旅をした後で振り返れば、あの場所で道を踏み外さず1ミリでも匍匐前進でも前に進んだ道に気がつくかもしれません。



旅は続きます。

いつのまにか崖地の細道が、なだらかな道になり、道端のタンポポに気付き、壮大な景色を見せてくれるかもしれません。



まずは足元の1ミリ、最初の進むための視線。







いつか、振り返って誰かのために、過去の自分のために、希望のメッセージを残す日が来るかもしれません。