ようやく秋めいて来たのに、デニムジャケットを羽織って汗だくになった朝雨です。
季節の先取りも、ほどほどにしたいものですね 笑
ここ数年の間にスピリチュアルがある種のブームになり、都市伝説のようなオカルト系の分野ともリンクして、さまざまな分野に広がりを見せてきました。
スピリチュアル系やオカルト的な分野は、心理学ではなく、エビデンスもなく科学的でもない、ということで批判の目を向けられることも多いようです。
朝雨は、あらゆる学問(思想)に垣根はない、と思っているので、心理学とスピリチュアルを巡ある種の不毛な戦いを、複雑な気持ちで眺めています。
というのも、朝雨が学び始めたころ、ユングやフロイトといった古典的な心理学については、エビデンスが得られないとして批判的な人もおりました。
それを踏まえて、統計や数値を重視した分野が発展したといういい面もあります。
一方で、心理学は科学的ではないし医学でもない、宗教や哲学のようなものだと批判する人も多かったです。
実際、大学で心理学を専攻してるといって、占い師にでも成るのかと、ある年配の方に言われたこともあります。
でもね、朝雨は、占いも宗教も哲学も、心理学も医学も科学も物理も数学も、広い目で見ればみんなおんなじことを知りたいと思ってる、って思うのです。
宇宙の成り立ちとか、なぜ人類が存在するのか、個人とは何か、集合とは何か…、探求はつきません。
そしてその端々の一つの分野を究極的に探究した人とは、話してみれば必ず新鮮な驚きと共通だと思えるような概念があるし、お互いのそれぞれの理解が統合されて、新しい驚きと発見があるものです。
朝雨の父と祖父は、文系の教授、祖父は物理学者、それぞれの分野で探究してきたと思うのです。
朝雨にとって身近なその2人には、共通点があって、それこそ朝雨がよちよち歩きの頃から、興味を持って質問をすれば、真っ直ぐ丁寧に、さまざまなことを教えてくれました。
当時から見た近未来の技術や、歴史的な学問の流れ、日々の不思議な現象についても、面白く話してくれたし、逆に朝雨の子供の持つ興味にも、独自の見解を見つけては「なるほどなぁ、わしはそれは知らなんだ」って祖父などは嬉しそうにしていたものでした。
何を言いたいのか、といえば
専門性を極めていった人は、その他の分野には寛容になっていくのではないかなと思ったりするのです。
人間の人生の中でありとあらゆることに専門性を持って深めていくのは、不可能です。
スピリチュアル的に言えば、いわゆる全てのアカシックレコードを保持し続ける人間なんてものはいない、個人の知識はどうしてもそのごく一部でしかない、ってことなのです。
その限界を知りつつ、知りたいという欲求と喜びを大事にする人たちは、年老いてもなお、幼い子どもの好奇心を持ち続けていくのだと思います。
教授職にあった父は、よく「学びたい気持ちに、早いも遅いも無い」と言っていました。
朝雨は、まだまだ何も知らない、って思うことがいっぱいあります。
心理学とスピリチュアル。
ときどき朝雨の真上に現れる、プラズマ体の飛行物体。
わからないことはわからないなりに、毎日受け止めていきたい、そんな風に思うのです。