悲劇のヒロインになれない理由 |   Hilole Lani

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   糸を紡ぎ、布を編むように一人ひとりが好きな世界を創っていき、
   それぞれの世界が出会いによって重なり、共に経験していくことで
   さらに美しい世界が広がっていきますように☆

 

はこざきえみです。




・なんで、私ばっかり不幸な目に遭うの?
・私なんか、なにやっても上手くいかないの…


自分がどれだけ不幸かを
周りにアピールして
同情を誘う

「悲劇のヒロインを演じる」なんて
使われますが



“悲劇のヒロイン症候群”なんて言葉もあり
度が過ぎると

わざと自分を痛めつけたり

家族を痛めつけて弱らせ
「こんな家族を持っている自分は不幸」とする
一種の精神病までいくそうです。




なんだかな、


自虐ネタとして

自分のアホさ加減とか
ヘマをした話はするけど…



うーーーーーん。
( ̄ー ̄;




不幸アピールしても楽しくないよね。







私自身、大病を患ったことないし

家族もみんな元気だし

借金を背負わせられているとか

DV受けているといったこともなく



超平々凡々な人間です。








もしかしたら、
これを読んでいる人のなかに

大病を患っている人や

家族が大病を患っていたり


借金を背負っていたり

DVを受けている人もいるかもしれません。





でもね、私それを聞いて

「かわいそう」って思わないんですよ。






「大変だね」くらい。



この「大変だね」も状況にあっているのか
わからないときがあります。



言ったあとに

「ん?それは大変なことなのか?」と
自問することもあります。





薄情かもしれないけど

その不幸を聞いて
私ができることは何もないのですよ。


「悲しいです」といった声に

「それは、悲しいね」と同調することも
できなくはないけど

その悲しさは私の想像でしかなくて







相手の辛い経験と
自分の辛い経験は

比べるものではないし
照らし合わせるものでもない

ましてや、

同じ経験にすることなんて
絶対にできないんです。





やっぱり興味があるのは

「で、どうしたいの?」



むしろ

「で、どうするの?」( *´艸`)




不幸な状態を
不幸なままにしたいなら
そのままでいればいいし

もっと不幸になってもいいし


幸せになることだってできる。





私は悲劇より喜劇のほうが好きですね^^





あなたはいかがですか?