団地で遊んでいた時、すぐ近くでしゃがんでいればすぐにわかる。

 

子供は無邪気だし本当の事だから遠慮しない。

 

普通の人が普通に使う日本語を、普通の友達のように普通に使う。

 

自転車で少し遠くに遊びに行けば、サドルの近くを通った時に気付く。

 

体育の授業中、みんなで体育座りすると距離が近いので当たり前、授業が終わって椅子を机の上にひっくり返して置いたりするけど、掃除当番が下ろす時に当然気付く。

 

全校集会で並べばクラスの違いなんて関係ない。

 

そもそも教室は狭いし、一番後ろになったとしても休み時間になれば関係ない。

 

そうでなくても「物」ではない。どうしようもない。

 

中途半端に混んでいる電車で吊革につかまるしかない状況だと逃げ場がない。

 

相手もこちらから逃げたいのに。

 

いじめっ子として悪者にできる相手がいない。私がいる限り迷惑をかける。

 

修学旅行で北海道のルスツ高原に行こうがディズニーランドに行こうがUSJに行こうが、居場所なんてない。

 

だからディズニーランドのトイレにパンツを捨てた。

 

乗り物だって狭い。飛行機も新幹線もブルートレインも広くない。

 

学校なんて行きたくなかったけど、休みたいと言えば殴る蹴るの暴行、不登校の選択肢なんてない。

 

私はいじめられてはいない。誰一人いじめているとは思っていない。

 

ある種の異常な人間に、普通の反応をしただけ。

 

私は、小学生が大好きな「う」で始まる汚い名詞と、「く」で始まる悪臭を表す形容詞を文字にも口にも出せず、日本語として使えない。

 

腸の蠕動運動がうまく働かず、トイレに行っても普通の人のように用を足せない。

 

いつも人中で居場所を失くす。小学生大喜びのシチュエーションだろう。

 

巨大結腸症を下ネタ扱いして笑う人は大人でも普通にいる。

 

この病気は当時あまり知られておらず、気の持ちようや身体を鍛えれば何とでもなると考えられていた。

 

こんな理由で学校を休むなど、ありえなかった。

 

今でも心が苦しい事が多い。

 

私はずっと、不登校になりたかった。