五季の会 | 荒井修のブログ

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五季の会と云うグループがある。

今からもう20年ほど前であったか、浅草公会堂の楽屋で

「修ちゃん、ぼうずしゃもっていう両国の店知ってる?」

「うん、何度か行ってるよ」

「実はそこへ行ってみたいんだけど、連れて行ってくれる?」

「ああいいよ、いつ頃行きたいの?予約しないと行けないからね」

などと言っているところへ、俳優の江藤潤が楽屋に現れた。

「あっ、丁度良いや、あのね、領国に江戸時代からやっているしゃも鍋の店でぼうずしゃもっていう店があるんだけどね、僕も行ったことないし、僕の周りでもその店に行ってる人がいなかったんだよ、それで修ちゃんに訊いたらよく行くっていうんでね、紹介してもらおうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」

「行きたいなー、連れてってくれる?」

という事でこの3人で行くのかなと思ったら、あと一人僕の友達でめちゃくちゃ旨い物を食べる事が好きな男がいるんだけど誘っていい?」

「それじゃあ僕も一人誘うよ」という事になり、八十助の友人の片桐くんと、私の友達の橘右之吉を入れて、5人で出かけたのである。

その第一回目が好評で、その場でこうして順番に自分の知っている美味しい店を紹介する会を結成することになった。

「人数は5人、1年に季節は4つだが5人で回すから五季の会っていうのはどう?」という八十助の提案で名前は五季の会に決まった。

高くて旨いのは当たり前だから、飲み物も入れて一人15,000円と云う上限があり、それを超えたら、超えた分はその時の主催者が残りはすべて持つというルールも八十助が決めたのである。

こうして始まった五季の会もそうそうスムーズに回らないので、この会の最後は一昨年の暮れだったか、この時は例外で片桐君の家で私が作った、江戸時代の鍋物である、小鍋だてであったが、これは次々に鍋に入れる食材の下拵えを私がずっと台所でやってなければならないので、メンバーからは大好評で、また作ってよと言われたがその時だけになってしまった。

因みに江藤君は劇場に出っぱなしになるので、皆に迷惑をかけるからと、途中で抜けて代わりに林家正蔵が入り、かれこれ10年ほどになったと思う。

私はそのうち五季の会のメンバーを集め三津五郎を偲ぶ会をやりたいと思っている。