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松本の秘密を知ってから、今日が3度目の満月だった。

給料日、しかも金曜だということもあって数人で会社帰りに飲もうという話になった。
向かいのデスクに座る松本にも先輩が声をかけている。

「なあ、今日くらいお前も飲もうぜ。なんなら彼女も連れてきてさ」
「あー俺、今日は無理です」

即答。
だよな、と心の中で呟く。
今日はきっと彼女と二人で過ごすはずだ。
吐いた溜息が思っていたより大きかったらしい。

「ほら、櫻井ががっかりしてる」

勘違いをした先輩に話に巻き込まれた。

「え、いや、別にそういう」
「翔さんは?」
「……え?」
「翔さんは行くの?」

不意に松本から聞かれて思わず固まる。それをお前が気にするのかよ、そう思いながらもそのつもりだと答えると、少しの間をおいて静かに窘められた。

「あんまり飲み過ぎないようにしなよ。早く帰るとか」
「え、まさかの彼女ヅラ?むしろ奥さん?」

すかさずツッコミを入れた先輩の言葉が、数日前の松本との屋上でのやりとりと重なる。


「だって絶対この人飲みまくるでしょ。なんかそんな顔してんだよ今日」
「え……俺、飲みまくる顔?」
「とにかく早めに帰って」
「松本うるさい!来ないやつに言われたくねえっての櫻井だって。どうせお前は彼女といちゃいちゃしてんだろ」

しっし、と手で払う素振りを見せる先輩を一瞥して、腕時計に目をやった松本が、あ、と慌てて立ち上がる。

「いちゃいちゃかどうかは知らないですけど、俺が行かないから注意してるんすよ。先輩、翔さんのこと見といてくださいね」

松本がいなくなった後、先輩にぼそりと聞かれた。

「あいつ、お前のなんなの?」
「……ただの同期ですけど」

こっちが聞きたい。
ここ最近、屋上で話した日からなぜか松本からの接触が増えたように感じていた。
彼女が出来たと言われてからは、気付けば櫻井が目で追っていることはあっても松本からは意図的に避けられていると感じることが殆どだったのに。

何だって言うんだよ……。

思い返してみても取り立てて思い当たるような節はなく、ただ避けられなくなった、普通に戻った、それだけの変化なのかもしれないと無理矢理消化していた。



定時近くになると、周囲の空気が徐々に仕事を切り上げ始めていく。
案件が残っていた櫻井が息抜きのために廊下に出ると、そこで松本を見かけた。
休憩所に置かれている自動販売機の前に立ったまま、自分の手首をそっと擦るようにして見つめていた。
目が合って、思わずこっちが息を呑んでも、向こうは対して表情を変えない。

「……今日、大丈夫なのか?満月だろ」

周りに人の気配が途切れたのを見て、耐えきれず聞いてしまった。

「やっぱり。ちゃんと気にしてくれてるんだ」

ふ、と松本の表情が柔らかくなって、思わず目を逸らした。

「翔さん、ちょっと身体かしてくんない?」

なんて言い方してくれんだよ……。
内心の動揺を隠すように胸の内で悪態を吐きながら、それでも黙ってついて行ったのは、久しぶりに見た松本の笑顔が少し嬉しかったから。
数日前までは二度とこんな風に笑いかけられることはないと思ってた。
だからほっとして、だけどそれと同時に空しさのようなものも感じていた。
自分が彼の中で〝笑いかけることができない存在〟から、〝なんでもない存在〟に変わってしまったんだと、そう気付かされたような気がしたから。