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思わず表情が強張った。
「翔さんがそれ聞くの?信じたくても信じられなくなるような態度とってたのそっちでしょ?」
声に出した途端、頭に血が上った。
信じるも何も、不安を煽ったのはそっちだ。
「この一カ月散々人のこと蔑ろにしといて、何もありませんでしたみたいな顔しておいて、そんな奴のことどうやって信じられるんだよ?」
「俺の態度は関係ねえだろ」
「関係あんだろ!そっちが何も言ってこないから俺は、……俺は」
「なあ、気付いてる?自分が矛盾してんの。仮に俺がお前をいくら気にかけてたとしても、きっとお前は俺のことを避けてた。最初から俺を信じてなんかなかったし後悔もしてた。もう一度言うけど、俺の態度は関係ない。あの日、あの夜からずっとお前はそうだっただろ」
静かに言い放つ櫻井に、急速に、怒りだったものが戸惑いに変わる。
その表情からは感情が読み取れない。怒っている訳でも悲しんでるわけでもない。ただ真っ直ぐに見つめられていた。
自分が今どんな顔をしているのか分からない。
気付くと、視界が微かに揺らぎ出していた。
「お前が俺に頼る気がないことくらい、こっちは最初から気付いてんだよ。それでも俺がお前に関わりたいと思ってる。だから申し訳ないけど、いくらお前が俺を信じなかろうと簡単に避けてもらっちゃ堪んねえの」
──勘弁してくれ。
「了解した?」
この人は一枚も二枚も上手だ。
思っていたより、ずっと。
おかげでしなくてもいい自覚までしてしまった。
溢れかけたものが零れ落ちないように、黙っているのが精一杯だった。
少しの沈黙の後、小さく息を吐いた櫻井が結んだ唇の端を少しあげるようにして微笑んだ。
「さてと。1カ月耐えた甲斐あって松本さんに俺には勝てないってことを分かってもらえたところで、とりあえずこの場はお開きですよ」
これ以上この人を想うことはないと思っていたのに。
「今日、待ってるからな」
じゃあな、と軽く叩かれた胸がジンジン痛んだ。
「……指、痛いんじゃないの」
気付くとドアノブに触れかけた櫻井の手を取っていた。
つかえたような胸の苦しさも、何も言葉が出てこないことも悔しくて、少し驚いた顔で瞬きをする相手を見るとほんのわずかに気持ちが落ち着いた。
「……ん、まあ」
「人のこと、マキロンかなんかだと思ってんでしょ」
「あはは、応急処置的な?」
癖なのかと思うほどよく笑う人。
笑うと眉の下がる笑顔が好きだった。
ずっと密かに恋をしていた。
だからあの夜、欲しくて堪らなくなった。
後悔。後悔。この気持ちに“もっと”があるなんて思わなかった。知りたくなかった。
軽く唇を当て舌で舐めると、あの時と同じ鉄の味がした。
これ以上、好きになりたくないのに。
「つーか俺のほうが応急処置してんだろ。お前がマキロンなら俺は、んー……経口補水液とか、点滴とかか?」
そんな悲しいこと、笑いながら言わないで。
そんな風に思って欲しいわけじゃない。
あんなふうに、抱くんじゃなかった。
伝え損ねた想いは行き場を失くして宙に浮いたまま。
そのまま、彼を知る度大きくなっていく。
その大きさに比例して、どんどん、どんどん重く膨らむ、後悔。
必要だから逢うんじゃない、あなただから逢いたいんだと叫んでも、今更きっと届かない。