「兜神社」 | 東京神社めぐり

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「兜神社」
「兜神社」

東京証券取引所のある場所を「兜町」と言うが、この名前の由来となっているのが、この「兜神社」である。由縁も源義家までさかのぼる説があるし、奉納されている神札は、明治の太政大臣・三条実美の筆によるものだという話を聞けば、どれほど立派な神社だろうかと思われることだろう。ところが実際訪ねてみると、大変小さなお宮であることに驚かされる。車ならば、たぶん気がつかず通りすぎてしまうくらいの規模だ。なぜ、こんな小さなお宮がここまで有名なのか? ひとえに氏子総代が東京証券取引所だからなのではないか、そう思って、ちょっとなめていた私は、訪れてみていくつもの「?」を背負うことになった。

「氏子総代の東京証券取引所」
「氏子総代の東京証券取引所」

○商売繁盛の神さまが3体鎮座する

このお宮についてしっかりした文献が残っているのは、江戸も最後のほうになってからだ。この辺りにあった魚河岸に出入りする人たちの間で信仰されていた「鎧稲荷」と「兜塚」は、やがて明治期の建設ラッシュの中で、移転と合併を余儀なくされ、兜神社となる。そして、あろうことか祭神までも取り替えられてしまうのだ。現在、このお宮に鎮座するのは、倉稲魂命、大国主命、事代主命の3神。判りやすく言えば、おいなりさま、だいこくさま、えびすさまである。商売繁盛の三乗だ。
説明が前後したが、「兜塚」の言い伝えは古く、源義家が奥州に出陣した際、戦勝祈願のため兜を埋めたとか、この岩に兜をかけ勝利を祈願したとか、平将門を打った首を兜とともにここまで持ち帰ったがこの地で兜だけを埋めたとか、いくつかの説が残っている。「鎧稲荷」も将門を祀った稲荷だとも言われていて、「兜塚」と「鎧稲荷」は元々は別物なのだが、なぜか両方ともに平将門の名前が出てくるという曰わくがある。それなのに、この合併神社の祭神には将門どころか、源氏が信心した八幡神も、タケミカヅチも、スサノオさえもいない。まるで今の日本みたいだ…。

 

「兜塚」
「兜塚」

○大事にすべきはこちらの方だ

物事が上手く回っている時には、ここに祀られている3神は何よりも心強い。だけど何かしらにつまづいた時、豊穣神だけでは心許ない。兜町という世界を相手に戦う場所にあるにもかかわらず、武神である神さまがひとりもいない。悪いものを祓う神も、運を転換する神も、その上稲荷なのにお狐さまもいない。とてもシンプルで出来の良い神さまばかりを明治時代に並べてしまった。それまでは八幡神がいて、たぶん合祀の前には将門もいたのだろう。
このあたりは町人と奉行所の役人が入り交じった場所だったから、江戸時代にはお宮がたくさんあった。日枝神社の御旅所もすぐそばに作られていたし、稲荷は1区画に1社あるくらいだった。その中で今も残る寺社はとても少ない。明治への転換期に残れただけで運のある社だったとも言える。そんな激動の時代の中で、祠ももたない「岩」が残されたのだ。どれだけの力があったのか、今はもう分からない。

「兜神社全景」

きれいな神社である。近隣の大会社の社員の人たちの手でしっかり管理されているのだろう。小さくても木は生い茂り、私が訪ねた休日の日にも外国の観光客が写真を撮っていた。まったく超がつくくらいの優等生の神社だ。
だけどこれでいいのか? 優等生だけで兜町は世界に立ち向かえるのか? 日本には八百万もの神仏がいるのに、なぜ同じ方向を向いた神さまだけを集めた? なんで八幡太郎だけでも残さなかったのか? 稲荷八幡なんて全国にあるぞ? そう思ったとき、平将門の兜が埋められていると伝わる塚が何となく返事をしたような気がした。私ひとりではもう疲れたよ、と。