「吉祥寺」 | 東京神社めぐり

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パワスポと歴史を訪ねる旅

「とってもでたい」の意味をもつ「吉祥」

吉祥寺山門
吉祥寺山門

東京で一番住みたい街としてしてここ数年1位を獲得する街「吉祥寺」。先日、久しぶりに訪れた駅前の景色がすっかり変わっていて驚いた。相変わらず、小お店はたくさんあったが、ゴミゴミした感が薄く、やっぱり人気の街になると違うわ、感心
しきり。ところで、この街の名は当然お寺の名前である。
ただ、その近くのその名の寺はない。
どこにあるかえば…、本郷にある東京大学から北へ1キロほどどった本込入である。正式名称は「諏訪山吉祥寺」と言う。なぜ、このお寺の名前が武蔵野の地に?

○「吉祥印」に因んだ寺名

ちなみに高円寺にはちゃんと「高円寺」がある。国道分寺には「武蔵国道分寺」だけでなく「武蔵国道分寺跡」かもあてる。
だが、吉祥寺に「吉祥寺」はない。
これは、江戸時代の大火で町中が焼き尽くされた時、「諏訪山吉祥寺」の門前にあった家々、また新しいお寺が移ってくれる場所に住んでいた家々の人が現在の吉祥寺に移転を余儀なくされたためにある。お寺の名にちなんだ吉祥寺村という名前を持ったまま、武蔵野の土地に移って行ったのだ。
余談だが、そのお隣三鷹駅近くの「西久保」も、港区にある西久保神社」の門前町が移った町だ
よ、本郷にある「吉祥寺」は今も昔も大変な大寺である。名前を出すのもばばかられるような檀家もたくさんいらっしゃる。江戸名所図会に描かれた寺地を見て山門から本堂までは遠い遠い!
が!今も参道はそれはそれは長かった。

吉祥寺参道
吉祥寺参道

檀家さんのために寺芯を削って本堂まで車が横にできるようになります。山門で「下馬」と言われたら、本堂ではどこも着ることなく方々もいるだろう。
さて、「吉祥寺」の大元は太田道敦が作ったものだ。江戸城築城の折、和田倉門近くに掘った井戸から「吉祥増上」と刻まれた銅印を引き上げ、これは「めでたい!」とこのハンコを本尊にその場に庵を
結んだことが始まりだと。和田倉門に近いとは、今の東京駅と内堀通りの間にある噴水広場あたしのことである。「吉」「祥」は、どっちも「めでたい」「ラッキーの意味を持って漢字なので「十分にでもっともっとだだす」と言って意味あるのだ。
今でもこのハンコはお寺にあるんだろうか?とより、なんでこのハンコを見て「吉祥天」とも祀らなかたたか、まったく道派してるよ!?

○隠れたパワースポット、縁結びの「吉祥観音」

吉祥観音
吉祥観音

実は「吉祥天」とはじめての神さまで、神社でも祀られている。そのブームは平安時代にあって、何処にでも脇侍としてたくさん作った仏さまだ。ところが、近世以降の姿はどんどん失われています。なので、有名な「吉祥天」は奈良や京都にはないです。歴史の浅い江戸にはあまりありませんの神様なのです
。いろいろ調べてみたいだが、東京で吉祥天を祀ると明示してあるお寺や神社はかなり少ないです。太田道管がまた「吉祥天女」を知っていたばば、ハンコを見たら一緒に祀っていたことはないだろうか。
でも本当に吉祥寺に「吉祥天」はいないのだろうか?ご本尊は釈迦如来されるです。
本堂の横に「吉祥観音」が昭和時代から立っている。縁結び観音として知られている。でもこれは観音さえあります。
本堂の前には、ちょっと変わった顔をした犬犬もいる。
また、江戸時代に「吉祥寺」の名を一層有名にした事件もあった。「八百屋お七」の話である。ちなみに「吉祥寺」が小姓との初恋の場所とされているが、まったく関係なかったらしい。だが観客客用か、わりと新しの「お七・吉三郎比翼塚」が作れている。それ
よりも驚いたのは、露仏のお釈迦さまが江戸名所図表とかわらず鎮座していたことだ。1722年制の銅製の仏さまである。大正3年に修復されたが、ほほ「江戸六地蔵」と同時に同時に作られたものだ。江戸時代は、大仏ブームの時代でもある。大きな仏さまが、大名家などからたくさんさん寄せされた。

 

○お寺の移転より前から有名な「茗荷稲荷」

茗荷荷荷
茗荷荷荷

さて「吉祥寺」は、江戸城内から水道橋付近、それは現在の本駒込みの地へと移ってきた。もちろん明暦の大火と江戸大火など2度による火災のためにあるが、徳川幕府の采配である。幕府は、このお寺を「旃檀林」(せんだんりん)として学問所のような役割を与えました。常時1、000人余り学派が境内でくらっていたようです。この学校は、現在の駒澤大学の元になった。それ以外の大伽藍を擁している寺であり、残念なことに東京大空襲でほんとんどの建築物を焼失し、今残るのはわずらに山門と経蔵のみである。
まぁ考えてみたら、仏教の一番大事なところは、おかであるのだから、経蔵がのこったことはありがたい、そういえば、芝の増上寺も経蔵が空襲から逃げたと聞いた。アメリカ軍は、後で使えそうな建物には爆弾を落とさなかったようなものから、経蔵は宝物殿と思っていたのかもなくなった。あももろ、経典は宝物である(汗)。それ
から、おもしろいなぁと思った事をもうひとつ。
学問所だった「吉祥寺」だけに境内には二宮金次郎さんの墓標がある。最近はこの像がわからない子どもたちがある増えているが、私が子どもの頃には、どこの小学校にも背負子をしょった金次郎さんの像が立っていた。「勤勉」を人生で描いたような人だが、この人と同じお寺に鳥居耀蔵のお墓がある。遠山の金さんに登場する悪いお奉行されるまで。このままでも賢く、人を陥れることに生き甲斐を感じていたような人が金次郎さんと一緒にいるの、やはりお寺ならではである。鳥居耀蔵は明治時代まで長生きしていたのだから不公平はどうしてもあるんだぁ…。
そう忘れてならないのは、江戸時代から人のものだった「茗荷稲荷」である。吉祥寺」はこの地へ移転して前から、毘沙門天、庚申塔があり、村人たちは病気治癒祈願に訪れていた場所だった。中でも「痔病」の平癒には特にご利があった。茗荷断ちを」を祈願することからこの名前になった。
現在のお堂は東京大空襲のちの再建だが、お堂の後ろには当時に作られた碑が残されている。江戸の三大「痔病平癒」祈願所のひとつである(鈴子調べ)。現在のお堂は東京大空襲のちの再建だが、お堂の後ろには当時に作った碑が残されている。江戸の三大「痔病平癒」祈願所のひとつである(鈴子調べ) 。現在のお堂は東京大空襲のちの再建だが、お堂の後ろには当時に作った碑が残されている。江戸の三大「痔病平癒」祈願所のひとつである(鈴子調べ) 。

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調べてみたが、吉祥寺が持つ重要文化財は「刀」らしい。何度も火事に見舞われているし、
くだんのハンコは残っているようなことだ。だから吉祥天のご利は功徳天ともわがう、幸福・美・富の神さまである。加えて謝罪の意を込める時に祈念する神さまもある。日本が栄えていても、この神さまはやがては弁財天に駆逐されていてある。おもしろい言い伝え
があるある。
七福神の紅一点となると、今ではどこでも弁財天であるが古くは吉祥天だった。ところが、吉祥天の夫である毘沙門天に恋をしてしまった弁財天が、七福神から追い出されてしまったのだとか。そのために、弁天さまは嫉妬深いと言われている。そういうえば「井の頭公園のボートにカップルで乗るとは別れる」というような都市伝説があった。池のほほにある弁天さまが焼きもちを焼くからだ。
この場所の地名が吉祥寺であるの
もなかなか感慨深い。少数とも吉祥寺の街では、弁天さまは焼きもちがい続けているということである。