毎年、夏至の少し前の、この時期。
日没直前の一瞬、
眩しい夕陽を受けて、碑面が燃えるように輝く戦没者慰霊碑がある。
「南方軍第一憲兵隊 慰霊碑」(以下「憲兵隊碑」)だ。
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(撮影:令和6年6月5日 日没直前 以下同じ)
(「憲兵隊碑」)
夕陽は、「憲兵隊碑」の真向かいにある、
「三ヶ根山四国八十八カ所霊場」(以下「霊場」)の、
最奥に立つ弘法大師像、その真後ろから差し込んで来る。
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やがて、弘法大師の全身が、夕陽の光に包まれる。
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夕陽は、まるで光のシャワーとなって、
八十八体の地蔵が向かい合って並ぶ、その真ん中の参道を通過して、
「憲兵隊碑」の碑面を燃えるように照らし出す。
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ちなみに、「憲兵隊碑」は、このような「光のシャワー」を考慮して、
この場所に建てられたものでは全くない。
建立当時、たまたま この場所が空いていたので建てたという経緯がある。
そして、建てて見たら、6月の一時期、向かい側の弘法大師像の方から、
光を受ける場所だったということだ。
なお、弘法大師像は、太平洋戦争が始まるずっと前、大正時代に、
「霊場」のこの場所に設置されている。
何か、不思議な縁というか、
人知を超えた力が働いているような気がしてならない。
太平洋戦争に敗北した日本。
戦後、戦勝国からの一方的な戦争犯罪裁判により、
1000名を越える人々が、理不尽に処刑された。
この内、フランスによって訴追・処刑された、
南方軍第一憲兵隊(任地:ベトナム)所属の24名の慰霊碑が、
この「憲兵隊碑」。
私は今から2,3年前、6月の初旬になると、
「憲兵隊碑」に夕陽が当たり、碑面が炎のように燃え輝くことを知った。
「霊場」最奥の弘法大師像から送られる夕陽の光が、
仏様の慈光となって、「憲兵隊碑」碑面を美しく輝かせ、
「憲兵隊碑」戦没者の霊を慰めておられるように見えた。
実は、「憲兵隊碑」と弘法大師像とを結ぶ直線の、同一方向線上に、
はるか中国の旧満州「鞍山(あんざん)市」があることに気づいたのは、
ほんの1週間前の6月1日。 (前ブログで詳説)
鞍山市👇 「憲兵隊碑」👇
鞍山市は、6月1日に碑文字ペンキ入れを終えた
「関東軍独立守備隊歩兵第十一大隊 慰霊碑 👇」(以下「大隊碑」)の部隊が、
昭和8年に創設された満州の街!
「憲兵隊碑」を輝かせる夕陽の光は、
遠く、満州の鞍山の方から届けられる光! と言えば、科学的ではないが、
何となくそんな気もするから不思議だ。
「大隊碑」は、「霊場」の西隣に位置している。
「大隊碑」の英霊たちは、この時期(毎年6月初旬)、
まるで満州の赤い夕陽に照らされるように輝く「憲兵隊碑」を間近にして、
往時を偲んでおられるのかもしれない・・・
「霊場」最奥の弘法大師像から発せられる夕陽の光は、
「憲兵隊碑」戦没者の霊のみならず、「大隊碑」戦没者の霊をも、
慰めておられたことに今気づいた。
赤い夕陽に、燃えるように輝く碑面が神々しい。
拝
(ご参考まで)「南方軍第一憲兵隊 慰霊碑」にまつわる2年前のエピソード)
以上