アジサイ祭りが始まった三ヶ根観音。
(令和6年 6月1日 以下同じ)
これから、日毎にアジサイが咲き誇って行く三ヶ根だ。
5月22日から取り組んで来た、リニューアル作業の第8弾となる、
「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」の3つの碑のペンキ入れ作業を、
この日(6月1日)ようやく終えた。
(リニュアル後 慰霊碑全体)
(リニューアル後の「メイン慰霊碑」)
(リニューアル後の「碑文」)
(リニューアル後の「物故者之碑」)
ちなみに、リニュアル前の状態は・・・。👇
(リニューアル前の「碑文」 令和6年5月22日)
(リニューアル前の「物故者乃碑」 令和6年5月22日)
碑文などによれば、「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」は、
当時の日本陸軍が創建した満州国駐屯軍「関東軍」に属する部隊で、
満州国では最強部隊として輝かしい軍歴を持つ部隊。
それが、太平洋戦争が始まると、部隊は中部太平洋の島嶼防衛の為、
昭和18年(1943年)末、満州から、はるばるマーシャル諸島の、
ブラウン島(現在名:エニウエトク環礁エニウエトク島)に転進。
海上2か月余りで、ようやく島に到着したが、
待ち構えていたアメリカ軍機動部隊と激戦となり、
善戦及ばず、無念の玉砕(ぎょくさい=全滅のこと)。
日本側は、同部隊を初め、エニウエトク環礁の3つの島、
エニウエトク島、エンチャビ島、メリレン島で、
僅かの間に、3000名余が戦死されるという結果となった。
実は、エニウエトク環礁は、隣のビキニ環礁と共に、
戦後まもなく、アメリカの主要水爆実験場になった。
エニウエトク環礁での水爆実験の動画 👇
<ウイキより拝借> (動画時間:1分36秒)
度重なる水爆実験によって、この環礁で戦死された方々のご遺骨は、
跡形もなく消えてしまったのではないか! と思う。
この方々は、生きては、アメリカ軍の砲弾に骨を砕かれ、
死しては、アメリカ軍の核兵器に、骨をも溶かされた日本軍兵士たち! であろう。
一度ならず、二度までもアメリカ軍に惨い仕打ちを受ける事になられた、
元満州国最強部隊、「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」の戦没者の皆様に、
軍歌「戦友」を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
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<ネットより拝借> (演奏時間:3分25秒)
作業が全て終わった夕方。
この「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」慰霊碑の向って右隣りにある、
「三ヶ根山八十八カ所巡り霊場」最奥の、弘法大師像の真後ろから夕陽が差して来て、
慰霊園参道の入り口方面を、淡い光で照らし出した。(👇)
「戦友」の歌詞に、「赤い夕陽に照らされて・・」という部分がある。
その夕陽を思わせる夕陽だった。
👇
(令和6年6月1日 18時40分 撮影)
合掌
(追伸)
帰宅後、この日(6月1日)の、三ヶ根観音の「日の入りの方角」を、
ネット(日の出・日の入マップなど)で調べてみると、
何と! 驚いたことに、その方角にピタリと、
「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」が創設された、当時の「満州 鞍山」、
現在の中国鞍山市が位置していることが分かった!😃
① 三ヶ根観音本堂から見える、6月1日の「日の入り方角」(下図の赤い方角線)
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② 日の入りの方角線は、彦根市の中程(荒神山)あたりを通過。
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③グーグルの方位線マップで、上の方角線の方角を確認すると、
彦根市は、三ヶ根観音から見て、西北西と西北のちょうど真ん中あたりの方角。
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④ ③の方位線マップを、更に、地図の左上方向に拡大延伸させると、
中国の鞍山市は、三ヶ根観音から見て、西北西と西北の、
ちょうど真ん中あたりの方角に位置していることが判明。
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この事によって、
昨日(6月1日)の三ヶ根観音の「八十八カ所巡り霊場」の夕陽は、
中国の鞍山市の方角から差し込んで来たことが分かった。
手前勝手に解釈させて頂くならば、
今回の慰霊碑文字のリニューアルを、
「関東軍 独立守備隊 歩兵第十一大隊」の
英霊の皆様が喜んでくださり、
きっと、部隊が創設された遠い鞍山(あんざん)の地から、
「満州の赤い夕陽」を三ヶ根に届けて下さったに違いない・・・。🙇♂️
改めて、英霊に感謝・合掌 🙏