特攻隊「誠隊」ポスターが取り持つ三ヶ根観音戦没者慰霊園とのご縁。 | 三ヶ根の祈り のブログ

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  一昨日の8月15日「終戦の日」の午後10時から、

NHKBS1スペシャル「特攻 知られざる真実」が放送されました。

 

 

 

  前編「海中調査で迫る"最期”」と、後編「誠隊最期の一か月」からなる、 

見どころの多い番組だったと思います。

 

 

  実はこの番組があることは、たまたま この日(15日)の午後、

自宅で見ていたテレビの、番組案内放送で初めて知ったのでした。 

 

  その日の夜に放送される番組のことを、当日の午後に、

初めて知って驚いたというのも、不思議と言えば不思議なことかも

しれません。

 

 これは視聴しなくては!と思ったのには実は訳があります。

 

 

 それは、先月(7月)19日に三ヶ根で斎行させて頂いた慰霊法要の事と、どこかで繋がっているのではないかと思ったからです。

 

                                  (令和3年7月19日)           

 

 以下、事の経緯を記します。

 

1. 「三ヶ根観音戦没者慰霊園 護持・奉仕会」のメンバーのSさんが、

懇意にしている「知覧特攻平和会館」の方から、同館で7月22日から

開催される企画展「海底からの証言」の案内ポスターを入手され、

特攻隊「誠隊 第36,37,38隊」の隊員たちの集合写真入りの

そのポスターを、7月11日から慰霊園の掲示板に掲示しました。

 

2. ちょうどその頃、私は、7月19日が、昭和20年の同日、

沖縄への夜間攻撃で戦死された、日本海軍の夜間航空攻撃部隊

「芙蓉(ふよう)部隊」の隊員で、三ヶ根慰霊園の呉海兵団慰霊碑に

名前が刻まれている「菅原秀三」さんのご命日であることから、

昨年に続き、その慰霊碑の前でささやかな御供養をさせて頂こうと

考えていました。

 

3. その折、昭和20年7月19日は、菅原さんの御命日と言うだけでなく、

日本陸軍最後の航空特攻が沖縄に向けて実施された日でもある事から、今年の7月19日には、最後の陸軍航空特攻に出られた方も、

出来たらご一緒に、ご冥福をお祈りさせて頂きたい、との思いが強くなり、

当時の陸軍の出撃記録を調べてみることにしました。

 

4. そうしたところ、この日に特攻に出られて亡くなられたのが、特攻隊

「武揚隊」の「飯沼芳雄」伍長と、もう御一方おられることが分かりました。

 

                         (飯沼芳雄さん)

=きむら けん氏「と号第三十一飛行隊 『武揚隊』の軌跡」(えにし書房)より拝借させて頂きました。=

 

5. 「武揚隊」のことを調査され、「と号第三十一飛行隊 『武揚隊』の

軌跡」(えにし書房)を上梓されたのは、きむら けん氏ですが、

7月19日の直前になって同氏のこの御本を読ませて頂き、

飯沼さんの部隊が、昭和20年に入って一時期、長野県松本市に

駐留していたことや、飯沼さんご自身が、松本市の宮淵という所の

ご出身と知って、とても驚きました。

 

 実は、私はかつて松本市に隣接する安曇野市の会社に出向していた

2006年から2012年の6年間、松本駅近くにアパートを借りて、

毎日この宮淵の近くを通って出勤していたからです。

 

 この7月の半ばになって、飯沼さんに「初めて出会った」ことに、

ちょっと不思議な御縁のようなものを感じたという訳です。

 

 6. さらに、この御本で、飯沼さんが九州の太刀洗(たちあらい)

飛行学校で操縦を学ばれた、陸軍第14期少年飛行兵だったことを

知った時は、正直、頭をガツンと打たれるような衝撃を受けました。

 

 というのは、この御本を読む直前の7月11日に三ヶ根掲示板に掲示した「誠隊 第36,37,38隊」というのは、その太刀洗飛行学校で、

飯沼さんたち少年飛行兵に、操縦訓練を施した教官で編成された

特攻部隊だったからです。

 

 この時、ポスターの「誠隊」の隊員たち(=太刀洗飛行学校教官)と、

教え子である「武揚隊」隊員の飯沼芳雄さんとが、何故か不思議な力で、

三ヶ根の戦没者慰霊園で、ピタリと結びついてしまったのです!

 

 7. このようなタイミングで「事」が連続的に起きてきますと、経験上、

これは英霊からの(または、天からの)何かのメッセージに相違ない、と

思うのですが、それが具体的にどういうメッセージなのかは、

残念ながら、私の理解を越える所ですので、急な事でしたが、

この7月19日には、三ヶ根観音の住職・副住職の勤行による慰霊法要を

斎行させて頂くことにしました。

 

 8. この日は、昭和20年7月19日に戦死された、海軍「芙蓉部隊」の

菅原秀三さんと、陸軍「武揚隊」の飯沼芳雄さん、そして彼らの関係部隊の戦没者・物故者、更に陸軍と海軍の航空攻撃部隊の戦没者・物故者の慰霊法要を、「誠隊」のポスターが掲示されている「掲示板」の前で

勤めさせて頂きました。

 

            ( 掲示板前での、令和3年7月19日の慰霊法要)

 

 

 

             (陸軍航空特攻隊 「武揚隊」の飯沼芳雄さん)

 

 

            (海軍夜間航空攻撃隊 「芙蓉部隊」の菅原秀三さん)

 

 

 慰霊法要の後、しばらくの間、飯沼さんのお写真を、

掲示板ポスターの「誠隊」隊員の写真の隣に掲示させて頂きました。

 

 

 

 

 元教官たちの隣に一人で立ち、少し緊張気味に見える飯沼さんですが、ポスターの写真の教官たちは、自分の教え子が立派なパイロットになったのを見て、優しい視線を送っておられるようにも見えました。

 

 

 7月19日に、こうした法要を勤めさせて頂いた後、

8月第2土曜日の14日、三ヶ根観音の本堂で、定例となっている

「夏季 大東亜戦争戦没者&殉職自衛官 追福菩提法要」を

勤めさせて頂きました。

 

            (令和3年8月14日の追福菩提法要)

 

  そして、その翌日の8月15日の午後10時から、「誠隊」の特集番組が、NHKBS1スペシャルで放送されることを、私が知ったのは、

その15日の午後3時頃でした。

 

 たまたま点けていたテレビの番組案内放送の中でした。

 

 「誠隊」隊員の英霊が、私に知らせてくれたのでしょうか・・・・。

 

 なお、NHKBS1スペシャル(後編)では、「誠隊」第37隊の隊長、

小林敏男少尉のことを詳しく取り上げていましたが、

このクラシック音楽をこよなく愛する好青年のことについては、

改めてブログで書かせて頂きたいと思っています。

 

                (誠隊 第36,37,38隊の隊員集合写真)

 

           (下の写真の真ん中に写っている人が小林敏男さん。) 

         = 昭和20年4月6日 沖縄洋上で特攻戦死。  享年23歳。=

                                   合掌