外山滋比古先生と父 | 三ヶ根の祈り のブログ

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 先週の18日、外山滋比古先生の新刊「忘れるが勝ち!」の発売記念講演会が、

八重洲ブックセンターであり、聴講させて頂きました。

 

 

 外山先生は御年95歳で、今なお現役バリバリの英文学者、というよりも、

一般には、”現代日本を代表する「知の巨人」”として言論界を中心にご活躍

なさっておられます。

 

 

 外山先生のご出身は愛知県西尾市で、

御母堂は、そのお隣の碧南市の平七村(現在は平七町)でお生まれになりました。 

 

 

 実は、小生の父親の実家が、御母堂のお宅のお隣だったこともあり、

外山先生が小学校の3年生くらいまで、御母堂と共に平七村の在所に帰省されるたび、

一緒に遊んだという、いわば 外山先生と小生の父とは「竹馬の友」であったと、

父親から何度も(自慢げに)聞かされていたのです

 

 

 父は、外山先生より2か月早く生まれただけなので、現在やはり95歳。

が、外山先生のお元気さとは対照的に、

父親は、体調を崩して、数年前から地元の老人施設に入居しています。

 

 

 父は、長じて小学校や中学校で教鞭を取るようになり、60歳で定年を迎えましたが、

その後も、暫くは、外山先生とはハガキで近況をやり取りすることがあったようです。

 

 

 しかし、病弱な身となってからは、父親は年賀状も出すことも叶わなくなり、

外山先生は、思い出の中だけの存在となっていたのかもしれません。

 

 

 ここ1年ほど前から、父は、

自分の過去のこと(それも遠い過去のこと!)を思い出しては懐かしむようになり、

それが幼い日々のことも多く、そうした時には、

やはり外山先生のことが思い出に出てくるらしいのです・・・。

 

 

 私は たまたま昨年暮れの新聞で、外山先生の新刊記念講演会があることを知り、

新刊の購入者には、先生のサインも頂けるというので、聴講させて頂こうと、

参加の予約をいたしました。

 

 

 

 

 小生にとって、外山先生と直にお目にかかるというのは、これが初めてのことです。

 

 

 18日の講演会には、百名を超える聴講者がお見えでしたが、

すでに定員満席ということでした。

 

 当日の外山先生は風邪気味で、

「少し体調がお悪いので、講演時間を短縮させてもらうことになった。」と、

初めに司会者が断っていましたが、

いざ、お話が始まりますと、先生の熱弁は、風邪など構っておられるか!

といった調子で、終了が、当初の予定時間と変わらないご講演となりました。

 

 

 サイン会では、先生は自身のお名前だけ書かれるということでしたが、

百名もの聴講者に、一人ずつ筆で、ご著書の見開きにお名前を書かれるというのは、

さぞ大変なことであろうと拝察するばかりでした。

 

 

 

 小生は(関係者に頼んで)一番最後にサインして頂くことにしました。

 

 小生の番となり、私が、愛知から来たことや、父親の名前、

更に外山先生と父親が幼馴染であったことなども申し上げ、

併せて、先生に差し上げようと、その日の朝、

御母堂の故郷碧南市の農家で収穫したばかりの「いちご」を1パックお渡ししたところ、

先生は、笑みを浮かべながら、ご本に、父親の名前も添えて、先生ご自身の御名前を

書いてくださいました。

 

 

 

 早速、翌日 施設の父を訪問し、小生が外山先生の講演会に行ったことを話し、

先生のサイン入りご本を見せたという次第なのですが、

こうした場合、病状のせいもあって、父は事情を理解するまでに、

ある程度の時間がかかるのは止むを得ないとして、

しばらくして ようやく納得できたという表情で、

そのサインに見入り、ぼそぼそとした声ではありましたが、一言、

「外山君と・・・、幼稚園時代を一緒に過ごしたというのは・・・、

もう ワシくらいなもんだろうなぁ・・・」とつぶやきました。

 

 

 しかし小生には、この一言が聞けたことがうれしかった・・・、と言いますか、

それ以上に、「こうした一言が聞きたいばかりに東京まで行ってきた。」と

言った方が良いかもしれません。

 

 父親もきっと喜んでくれたに違いない・・・・と思いました。

 

 

 外山先生も父親も 長生きして欲しい! 心からそう願います。

 

                                             

 

                              以上