天使ママという言葉を知ってから、

ずっとそれに支えられアイデンティティになっていたけど、

だんだんココに頼らなくても大丈夫になってきたこの頃。

 

気づいたら、

SNSでは天使ママよりも美容系の投稿を見るようになってる。

 

ゆっくりでもちゃんと進んでる。

でも忘れたわけじゃない。

ちゃんと心の1番大切なところに、るるはいる。

 

最近は、鎌倉殿の影響で

歴史や古典にはまっている。

 

思い返せば、小6で歴史を学んでから、

平安時代や鎌倉時代に魅了され、

紫式部調べたり、夏休み母と二人で鎌倉に行ったり、

けっこう好きだった。

高校の授業で、古典にいろいろ触れたら楽しくて楽しくて

得意教科になってたし、自主的に色々読み漁ってた。

 

そんなこともあり、

図書館でふと手に取った本。

 

『土佐日記』って、実は天使ママの日記でもあることを再発見!

紀貫之が女になりきって日記を書いている、

いまでいう転勤中の出来事を書いているもの。

転勤先に連れて行った娘が

元の家や職場に戻るときには、亡くなっているという話。

 

この時代の人が、我が子を亡くし、

どんな気持ちでいたか、

前に進んだり、後ろに戻ったり、

現代人と同じような気持ちでいる。

 

元祖天使ママの投稿として、

こちらに歌を紹介します。

すんごい共感しました!

 

 

都へと 思ふをものの 悲しきは

かへらぬ人の あればなりけり

 

訳:いよいよ都へ帰れると思うのに、

なんとも悲しいのは、一緒にかえることのできないあの子のことを思うから

 

なかりしも ありつつかへる 人の子を

ありしもなくて 来るが悲しさ

 

訳:子どものいない人が産まれた子を連れて帰っていくのに、

(私は)子どもを失って帰る悲しさよ

 

こういうことあるよね。

私は子ども失ったのに、まわりはどんどん赤ちゃん産んでいく悲しさ。

 

寄する波 打ちも寄せなむ わが恋ふる人

忘れ貝 降りては拾はむ

 

訳:浜辺に寄せる波よ、打ち寄せてほしい。

恋しい人を忘れさせてくれるという忘れ貝を。

そしたら降りて拾いましょう。

 

忘れたい気持ち、忘れられたら楽、そういう想いも分からなくもないなぁ。

その一方でこんな歌も。

 

忘れ貝 拾ひしもせじ 白珠を

恋ふるをだにも 形見と思はむ

 

訳:もう忘れ貝は拾ったりしない。

真珠のようなあの子を恋続ける気持ちだけでも、

形見と思います。

 

私の気持ちはこれに1番近いかな。

 

そして、夫婦の会話(歌)

妻の句

住の江に 舟さし寄せよ 忘れ草

しるしありやと 摘みて行くべし

 

訳:住吉の浜辺に 舟を寄せて下さい。

恋しい人を忘れられるという草の効き目があるかどうか、

摘んで帰りたいから。

 

夫の句(返事)

うつたへに 忘れなむとにはあらで、

恋しき心地しばし休めて、

またも恋ふる力にせむ、となるべし

 

訳:まったく忘れてしまおうというのではなく、

恋しい気持ちをしばらく休めて、

また恋慕う力にしようというのでしょう。

 

なんと優しい旦那さん!

悲しみ続けるのもつらいから、

ママも悲しむの少し休んでいいよ。

また元気になったらあの子のことを考えようね、

なんて言ってくれたら最高。

 

生まれしも 帰らぬものを わが宿に

小松のあるを 見るが悲しき

 

訳:ここで産まれた子は帰らないのに、

我が家に小松が生えているのを見るのは、

なんと悲しいことでしょう。

 

うん、こういう寂しさもたくさんあるよね。

ほんと。

 

子どもを亡くす悲しみや葛藤は、

古今東西変わりないもの。

 

そういう悲しみに寄り添える人になれたこと、

それもるるからのプレゼント。

 

参考文献

『美人の古典』 山下恵子