最近はコロナで幼稚園が休園になることが増え、

カウンセリングをキャンセルせざるを得ないこともありました。

キャンセル料金\3000は結構へこむ。

てなわけで、夫が休める時に予約するようになったので、

カウンセリングは隔週に。

早く治療完了したいのに・・・。

 

さて、前回までのEMDRから、

妊娠当初の想い・トラウマから振り返ることになりました。

 

私は、妊娠すべきじゃなかった

私は、精一杯やった

 

と否定的な感情を、肯定的に書き換えられるに。

 

 

《6回目》

久々のEMDRのためか、いまいち集中できず。

過去の記憶、感情をうまく引き出せず。

 ※2週間以上あけるのは、やはりよくないです。

 

仕事と育児の両立から逃げるために妊活妊娠に走り、

たった1回で(周期も管理せず)妊娠発覚。

妊娠に逃げたくせに、まさか妊娠するとは思わず、

仕事への罪悪感(ただでさえ育児で一人前の働きができてないのに、その上、妊婦に。。。)で

全然喜べなかった。

 

妊娠に逃げたことも、

喜べなかったことも、

どちらも後悔している。

自分を責めている。

 

ただ、EMDRをしてみて気づいたのは、

仕事は楽しかったこと。

妊娠は私以上に夫の希望が大きかったこと。。

私だけが自分を責める必要ないってこと。

同罪だってこと。

 

そんなこと気づいても、

全然気持ちは楽にならなかったけど。

もやもやしながら、カウンセリングは終了。

 

《7回目》

前回あまり進展しなかったので、

もう一度、復帰当初、妊娠に逃げたところから。

 

葛藤に苦しんでいた。

一生懸命にやっているのに、評価されないこと。

 

クラス担任もったからには、

子ども達のために、

家庭を自分を犠牲にしても、なんとかなんとか仕事しているのに、

夜遅くまで、あなたのご帰宅に合わせて職場で待って保護者対応したのに、

その方に

『先生はクラスよりもご自分のお子さんを優先している。

シングルじゃないんだから、ご主人にお子さんは任せて仕事に専念してください。』

に言われるし。

 

持ち帰り仕事しても、休日返上で仕事しても、

在校時間が短いことで肩身は狭い。

「無理しないで、お子さん優先して」と言いながらも感じる暗黙のプレッシャー。

 

毎朝、机上には、

「こちらで対応しておきました!」「まとめてやっておきました!」の付箋や、

退勤後に配られた書類の数々。

ありがたいです、本当にありがたいです。

でも、一緒に夜遅くまで仕事ができないこと、お荷物・お客さん扱いに悲しくなりました。

 

たまに残業しようものなら、

夫には「遅い」と責められる。

確かに20時まで仕事して、21時に帰宅って2才児ママとしては失格かも。

 

妊娠7週の時、

成績処理で寝不足が続き、

下校指導で炎天下で立ちっぱなし、下校を見送ったあの日、出血した。

動揺と腹痛でトイレから出られなかったあの日。

なんとか職員室まで歩いた。

怖くて誰にも言えなかった。ただ耐えた。

流産宣告が怖くて病院に電話するにも勇気が出ない。

病院に行って休職と言われるのも怖かった。

職員会議が終わるまでは、椅子にじっと座って耐えた。

 

明日は出勤できない、頭では分かっていたけど、誰にも報告できなかった。

そして、病院に着いて、

主治医に状況を話すも

「そんな妊婦は信用できない」

と叱られる。

産科医的には、仕事を優先してすぐに受診しない、電話もしない妊婦は信用できないと。

 

私的には、病院に行っただけでもすごい勇気だったのに。

会議終わって仕事残ってたけど退勤したのに。

お迎えも夫に交代してもらったのに。

でも、認めてもらえなかった。

 

私は精一杯、一生懸命やってても、

児童にも、保護者にも、同僚にも、夫にも、産科医にも、

認められなかった。

もっともっと、もっと、もっと...

全然認められなかった。

 

結局何もかもが中途半端。

 

挙げ句の果て、

切迫流産になって1ヶ月自宅療養。

(なんとかオンラインで成績表だけは仕上げましたが。)

仕事できない歯がゆさ、

赤ちゃんもどうなるか分からない。

いっそのこと流産でいい、とか考えてしまった愚かさ。

 

『お友達がその状況だったら、なんて声をかけてあげますか?』

とカウンセラーさん。

きっと優しい言葉をかけて励ます。

でも自業自得でしょ、って思ってしまうかもしれない。

 

 

そして、同時期に、

地元で、危篤状態の祖母。

死ぬと分かっていても、意識あるうちにと言われても、

「夏休みまでは行けないから、頑張ってって伝えて」しか言えなかった。

仕事は休めない、休日も仕事で忙しいし体も休めたい。

車で片道3時間の壁。

妊娠発覚、切迫流産。

 

祖母の命よりも仕事、自分たちの生活を優先してしまった。

お別れができなかった。

仕方ないって割り切っていたけど、本当にそれでよかったのか。

 

『おばあさま、なんて言うと思います?』

とカウンセラーさん。

 

分かってる、

きっとおばあちゃんは、私に無理なんてしてほしくないと思ってる。

でも、最期に会いたかったと思う。

ごめんね、おばあちゃん。

 

 

そして、自宅療養明けの記憶。

赤ちゃんが無事でよかったって安心したこと。

元気に生まれてきてねと祈ったこと。

これからは安静に気をつけるよ、と思ったこと。

 

休職明け、思った以上に

同僚も、保護者も、児童も、

温かく迎え入れてくれたこと。

優しかったこと。

赤ちゃんを喜んでくれたこと。

思った以上に周りは優しかった。

 

・・・・・・・・・

ふう、濃厚な7回目でした。

頑張りの割には、責められ認められない辛さ。

自己評価と他者評価が一致しない辛さ。

切迫流産の葛藤。

祖母との悔いある別れ。

温かく迎え入れてもらえた記憶。

 

後悔も自責も消えない。

『いまはそのままでいいのかもしれないですね、』

とカウンセラーさん。

 

いつか消えるのかな?

いや、消しちゃいけない気がする。

この後悔を糧に、これからの人生を悔いなく歩いていかないと。

 

とりあえず、この時期の感情は吐き出せたと思う。

 

てなわけで、次回は、

復帰後のエピソードからEMDRしたいと思います。