誕生日に合わせて施設の面会に行ってきたのが16日。
今回はオレンジの翼で日帰りしました。
飛行機に乗るのはいつでも嬉しい。
なんだろう、ただ嬉しい。
乗り物が好き、とくに飛行機が好き。
空間が移動するというその状況が好き。
空港から直行してまず午前中に伯母に面会。
伯母は腎盂炎のあと体調があまりよくなくて今回から看取りも考慮して直接会えることになった。
久しぶりに会う伯母はお話をするのも大変そう。
心が動くのも体力を使うことなんだとよくわかる。
休憩を挟みながら少しずつ話す。
それでももしかしてこのまま持ち直してくれるのかもとも思ったりした。
同じ施設に入っている母とはずっと2人でやってきてて、入居後は施設内で会わせてくれるという話だったのに一年経ってもまだ一度も面会できていない。
会いたいという2人の気持ちが宙に浮かんだまま。
認知のある母はエレベーターに向かって名前を呼んでみることもあるという。
切ないなぁ。
2人を会わせてあげたい。
そんなことを考えながら午後の母との面会に向けて施設の近くのカフェでランチ。
近くに選択肢がここしかなかっただけなんだけど、予想以上に素敵なカフェで、
母に外出OKの許可が出たら連れ出してあげたいと思った。
父の介護の合間のカフェ巡りが息抜きだった母との日々を思い出す。
絶対ここ好きだよなぁ。
あの頃は大変なりにもまだ幸せだったのかと、振り返ってみるその感覚に愕然とする。大変で不幸だと思っていた。
コロナのことが理由で、今でも母とはピークの時と条件は全く変わらず部屋で直接会うことはできないし、ビニールシート越しに面会は10分のみ。
次に誰かが面会するには2週間以上あけなくてはいけない。あまり聞かない厳しい条件だと思う。空港からのタクシーの運転手さんも驚いてた。地元の中でも厳しいらしい。
ただ現場のみなさんはやさしく一生懸命してくださってるのがよくわかってありがたい。
時間だって本当はゆっくりあわせてくれたいんだろうなという程度にはゆるい。
どんどんわからなくなっていく母に、私は少しでも刺激をと思って毎朝毎晩電話する日々だけど、
会うことへのいろいろな条件は母にはよくわからない。
いよいよ面会すると母はとてもしっかりしていて、生き生きと話す姿は年こそとったけれど昔の母だった。
プレゼントの絵本をことのほか喜んでくれて、
言葉を尽くしてお礼を言ってくれた。
仕事が休みの次男とつないだビデオ通話をスクリーン越しに楽しみ、ひ孫たちの動画をみて面会を終えた。
喜んでくれたくらはしれいさんの素敵なイラスト。
次男がおじさんになったとからかう様子はまるで昔のままで、本当に嘘のようにしっかりしてた。
もちろんそれは認知症の特徴で、
わかったりわからなかったり
よかったりよくなかったり、なわけで。
そして、どこかいいところを見せようと張り切ってしまうんだろうな。それは実は心理的に無理を強いているのかもしれない。
楽しかったーと元気だった母がその反動の寂しさで混乱してしまうのもなんとなく分かってはいた。
それでもその刺激はあった方がいいと信じているけど、悲しくもある。
この前会えたのに会えない、ということがなかなか理解できず、千葉との位置関係も今ひとつ。
写真や電話で見聞きした孫とひ孫たちと記憶の中の私の小さい頃とが入り乱れてしまって、誰が誰の子どもなのかわからなくなってるんだろうなー。
そりゃそうだと思う。
私も子どものことを思わず「チャコ」と呼んだことがある。それとは違うか、いや同じか、いや違うか。
切ない。
携帯にかかってきた出られない電話の後に
日本に着いたよー、先にいっとるよ、という留守電が入ってたりする。台湾から引き上げた時の記憶のようだ。
切ない。
電話に出られないことが続くと、自分の操作が間違ってだと思うのか、がっかりして自分を責めてる。
わからなくなってしまったよ、と。
切ない。
直後には悲しくなってしまったことも忘れて、けろりとしていることもある。
よかったりよくなかったり。
それには正しい段階とか理由とかなくて、その時その時を受け入れる。
ちょうど面会に行った時に、母が好きな担当の介護士さんがついてくれてて紹介してくれた。
ほんとに優しそうで、お母さんのお友達にいたなぁという感じ。心からよろしくお願いしますとお伝えできてよかった。
短い時間だけど、
また会いたいねと言ってくれるから、それはきっと母の心に楽しい時間として残っているんだろうな。
それだけでいい。
また行くからね。
その時その時の気持ちを大切に。
素敵なカフェに今度は一緒に行きたい。
母を連れて大好きなドライブに行ける日が早くきますように。