昨日は新しい練習場に行ってきました。

ショートコース併設の大きな練習場です。


実は遠い昔に行ったことあるんですけどね。

子どもたちが幼稚園と小学生だったころで、

微妙に覚えてるような忘れたような‥‥。


初めてのコースに大喜びしてはしゃいでたなぁ‥‥

2人とも初めてなのにしっかり当たるのにびっくりしたのを覚えてます。やがてゴルフゲームで覚えたフックやスライスを打つようになったり、

サッカーより向いてると思ったんだけどなー。

サッカーの方が楽しかったようです。




3年前に私はその練習場すぐ近くの学校に配置されて、通勤のたびに看板を見ていました。

通うことはなかったのだけど、何年か前からYouTubeで気になってみていたレッスンがそこで開催されることになったという不思議なご縁に思わず申し込んでいたのでした。




レッスン前に早く着いて打席に立つと、うっすらかかった雲がきれいでした。


写してみると目で見るよりはっきり見える。

オーガンジーのレースみたい♡


雲のその瞬間の唯一無二に惹かれます。

何度でも写したくなる。

ゴルフ場でも雲の写真をたくさん撮ります。




レッスンは身体に同調させてふるコンパクトスイング、面白かった。次も受けてみたい。


ちょっとゴルフモードになったので、昔のゴルフ記事を振り返ってみました。


2021年末の記事。



シャンクだらけのラウンド、恐ろしやー(笑)

ちょっと調子いいと自惚れて期待して楽しみにしてたらしい。

 


突然のシャンク。

ゴルフ場のあちこちをうろうろ。

 




その割に雲ばっかりみてる余裕も。



以前よく感じてた「こんなはずじゃないのに」という時の気持ちの変化、

「受け入れるっていうこと」について書いてました。


 

受け入れるのに終わりはない

うまくいかなかったことを受け入れたら次にはうまくいく、わけではないし、

残念ながら次もまたうまくいかないことを受け入れていくのかもしれない。


うまくいったからといってそれが未来を約束するものではない。


うまくいったりいかなかったり、わかったりわからなかったりしながら続いていくんですね。

 

なんというか、「今ここ」というのは、

ただそうだという事実なんですね。


     (この辺からはコピペで)


受け入れるというのは

完了形の結果ではない。

評価でもないし能力の表れでもない。

うーん上手い言葉が見つからない、

つまりは今ここが全てではないということかな。

 

今ここって一瞬で過ぎていくことだし、そんなに力んで受け入れていくものじゃないなぁというのかな。 

 


受け入れた、あ、わかったー、なんて過去完了形で感じていたあさはかな自分が恥ずかしいです。

その時は目の前の出来事を受け入れてた自分は確かにいたのだろうけれど、

現在、出来事まるごと「受け入れる」という大きな大きな括りの中で言えば、受け入れたり受け入れなかったりするということだろうな。ちょっと表現が独りよがりの自覚ありますが、備忘録として。




だってとても悲しくて悔しくて無念で腹が立ってそうそう冷静に受けれられる出来事ばかりではないだろうし、いつもいつも「今ここ」でい続けるなんてきっと無理なんだろうし、

その一部分を少しずつ受けれたり受け入れなかったりしながら「今ここ」を過ごしていく、

受け入れることにそこで終わりはないし、完了形ではない。

 

「受け入れる」「受け入れよう」「受け入れられたらいいのにな」「受け入れていないな」なんて講師としてカウンセラーとしていろんな場面で伝えたり感じたりしたきたけれど、実はわかっていないのは私だったなぁと思う今です。



ここに気がついたことで、少し、ほんの少しは受け入れてきたかなぁと。

できてないことをまず受け入れないと前には進めませんものね。今ここで気がついたことを今ここで受け入れます。


受け入れ続けるのが生きてるということ。

 

ゴルフはこんなふうに私の心と向き合う手段でもあります。

ゴルフでの気づきがなかったら学びの深まり方も違ったかもしれないなーと思います。


この時の自分に激しく同意。 

同じようなとこをウロウロしてます。

ただ言えるのは、
ほんと、ゴルフがあってよかった!

これだけはいつも真実。

ノーゴルフ ノーライフ⛳️