子どもには自然に目がいきますね。
ただ健やかに、と祈る思いです。

ある日の帰り道 

とある駅で電車中に響く大きな泣き声とともにボクがおばあちゃんと乗ってきた。

ていうか、まず声が先に車内へ。

「嫌だ嫌だ。
嫌だよー」
と号泣中。

(どうしたのかな?)←心の声

おばあちゃんに連れられて保育園の帰り道風の3歳になるかならないかくらいのボク。

小柄なおばあちゃんは背中も右手も荷物で手一杯。
片手しか空いてない。
その手を振り解いて車内で足をバタバタするボク。


目が合う。


全力を目に込めて「よしよし」ビーム。

(泣きたいんだねー、よしよし)

一瞬泣き止む。

(おお、届いた)

「涙ふきたいよー。
暑いよー。」

やっと落ち着く。
おばあちゃん一安心。

いっぱい泣いたから暑いやろ、よしよし。

(おばあちゃんこそ、大変でしたね)

「座りたいよー。」
さえぎるようにおばあちゃん、
「座れんとよ。何言うてる。」

と同時に、目の前のおじさんがすぐに席を立ち上がって譲ってくれる。

(おじさまナイス!♡)

おばあちゃん恐縮して断るも、ボクはトコトコと席に近づきよっこらしょとよじのぼり、ちょこんと座る。

おばあちゃん引き続き恐縮するも、
ボクは涙を目にいっぱい溜めながらも嬉しそう。


愛情って見えなくてもそこにある


わかるんだ。
座れたことより、優しさが嬉しいって顔してる。
そんな感じがする。

優しさを受け取ってとても満足そう。
この子は愛情を知ってるんだなーって思った。

愛情を受け取って嬉しそう。

それが伝わって周りの人もほんわかしてる。


その横の女性が今度はおばあちゃんに席を譲ろうとすると、頑なだけどとても感じよく断ってた。
おばあちゃんも愛情深い人だとわかる。


座ったボクには、
「わかっとる?
あんたは座ったらいかんとよ、ほんとは。無料の子は座ったらだめ。
お母さんに言わないかん。」

(いやいや、すわってもいいよー)

わかるのかわからないのか、ニコニコしながら聞いてるボク。

そのうちに降りる駅が近くなると

「抱っこしたいよー。」
(どっちが? 日本語ちょっとまだ不自由、笑。)
そしてまた泣き始める。


おばあちゃん、困ってる
多分ボクも困ってる

もう体力の限界がきて、疲れてるし眠たくて自分でも機嫌を持て余し始めてるのかな。
こんなちっちゃいのに聞き分けよくなくてもしょうがないよね。
子どもの体力ってスイッチが切れたようになくなるんだよな。
特に夕方。


「もう、抱っこしたいよーー」
(がんばれ!!)

もうビームは届かない。
ボク、泣きっぱなし。

おばあちゃん困りながらも励ましつつ降りていく。
今日は荷物がいつもより多いのか、ちょっと抱っこは大変そう。

そしてたくさんの人の陰になっていく。

(どうしたかな。)

人混みに紛れてしまってやがて声も聞こえなくなった。


おうちまで無事にたどりついたかなー。

その後

ボクが降りたあと、席を譲ったおじさんがまた座ろうとした横からワカモノが滑り込むようにして座ってしまった。

(もー、ほんわかストーリィが台無しじゃないかー)

ワカモノも疲れてるのかな。
どうしても座りたい理由があったのかな。

特にオチがあるわけではありません。


それでもたくさんの欲求や愛情を感じて心があったかい時間でした。



子どもが子どもらしくいられますように。


子どもと触れ合うことで
こちらの方が愛情をもらっている。
いろんな時にそう思います。

そういえば、つい先日1年にわたって開催していた
「子どもと笑顔で過ごすためのプログラム」第2期が先日終わりました。

また3期も募集していきます。
参考までに、2期開講時の投稿です。
講座で、セラピーで、これからもコツコツ幸せの学び継続します。