「お前はいつもそうだ」(否定的なニュアンスで)

割とよく言われるセリフです。
この言い回しの良し悪しはおいといて‥‥。


以前は、こんな時に自分も一緒になって
はぁ、ほんと自分はいつもこうだ。
なんでこうなんだろう、ダメだなぁ‥‥って思ってました。



うっかり流されそうになるけど、
今では、なんか変だぞ?と思います。
変なこと言われてる!と腹が立ちます。


いつもそうだ、って事実でしょうか?
「いつも」って、事実でしょうか?


たとえ「いつも」と表現したいほど頻繁だったとしても、
それってそんな勢いで指摘するようなことなのかな?


以前なら、ぐっと我慢するか、
時にはこちらも必要以上に反論したくなったりしてたかな?

今なら自分の考えを伝えることができます。 


我慢するのとも違うし、攻撃的でもない。
自分の思いを伝える。
それはお互いにとって楽みたいです。



「怒り」を自分のものとして感じるようになったら日々の暮らしが穏やかで楽になりました。





楽になると相手のことも見えてきます。
「いつも」のカラクリも見えてきます。


相手が何かをできてなかった時に、その結果が私のせいだと感じる状態がおきるとする。

例えば、私が何かをいつものところに片付けてなかった結果、それを見つけることができなかった時。
「いつもそうなんだ、同じところに片付けないから」


たまたま同時につかうこともあるかもしれないし、
それに、片付けている時もあるんです。
だけど、片付けてる時には普通にすんなり見つかるから気がつかない。


つまり、相手ができてる時には気にならないので気がつかない。
で、気がついた時には「いつも」できてない。
できてない時だけ気がつくわけで、気がついた時には「いつも」なんです。


できてる時を見ようとせずに「いつも」なんて言われたら、なんだかなぁ‥‥。
私だったらそんなふうに思われて悲しい。
そしてだんだん腹も立つ。


「いつも」そうだと思えば言ってる本人も余計に腹も立つだろうし。だから不釣り合いな怒りになってたりする。だから攻撃的でもあるのかな。



理屈を説明されると簡単なことのように思えるけど、
これが本当にふに落ちてるといろんな場面で応用できます。
そういうのが自己肯定感につながるのかな。


感情処理は問題解決に効果的ですね。
しみじみそう思う。


心のことを知るために、
自分のためにもカウンセリング力(りょく)は役に立ちますよ(^^♪