解剖前夜
動物が人間になった時はいつかの問いに対して、埋葬の文化が始まってからという話が一番私はしっくりくる。
所謂、死に対して特別な感情をいだき始めた頃から人間になったということ。
きちんとした埋葬をする動物は今存在しない。
死にたいしての感情はもちろん特別だが、どう特別なのかというのを考えなければいけない境地にたたされている。
明日からアメリカで始まる解剖実習のため。
私は死にたいして、未だ恐怖というというのが強い、誰だってそうなのだろうとは思うが、このような内容の感情のままでは亡くなった人間の躰をうまく切れるか、みれるか心配だ。手先が震えてしまいそう。半年前くらい前には完全に知的好奇心が勝っていた。喉の中身がみたい、触ってみたいとい欲求が勝っていたのに。
解剖が明日に迫った今日、天秤が少し揺れた。
慣れるという言葉があるが、それが特別な感情がなくなる、麻痺するということになるのか、それとも別の内容の特別な感情になるのか、想像がつかない。
私は後者の別の特別な感情になることを望みたい。解剖学を学びにいくことが一番の目的だが、人間という存在について何かわかったらいいなと思っています。。。
ほんじゃー アメリカの旅へ
いって参ります♪