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興味のあることと、「見ちゃう」ということは厳密に言うと、違う気がする。


テレビで災害映像が放映されていれば確かに見てしまうけれども、それを興味としてとられることにはどうも違和感がある。


「人は誰かの不幸を見たがっているんだ」という話を人から聞かされたことがあるのだが、

正確に言うと「見たい」んじゃなくて「見ちゃう」なんじゃないかな、という気がする。


それは、むしろ防衛本能に近い感覚であり、つぶさに内面の動きに注意してみても、一人で見ている最中には「見たい」という欲求のような働きを特に感じることはできないのだ。


その時の状態は、どちらかというと無心に近い。


きれいごとではなく、ただ「見ちゃう」

見てしまった自分に対して、何らかの感情を持つのは、見ている最中じゃない。


後になって、その空白部分とも呼ぶべき状態をどう扱えばいいのかわからず、

人によっては、いろいろなもので説明がつくように埋めようとする。


一人で見てしまった時より、複数人が間近にいて見た時の方が、かなりの駆け足で埋めようとする傾向もあるようだ。


空白部分を空白部分としていつまでも扱い続けるのは不安をともなうものだからなのか……わかりませんが。


また「見ちゃう」より「見たい」という欲求のようなものが働いてしまうのは、まさにこのような時ではないかとも思う。



ただ、ここにおいても区別しなくてはならないのは、


『厳密に対象に対してのみ「見たい」』


というものなのかそれとも、


『対象を見ることで他の誰かと共有ができるという前提があるからこそ「見たい」』


のかどうか、ということだろう。



いずれにしろ「見たい」より「見ちゃう」この差はかなり大きい。


でも、ごっちゃにされている気がするのだ。いろんなところで。
(あえて、ごっちゃにされているところもあるな)




※うーむ、まだ整理が必要な気がします。
ま、誰も読み返かえす人なんていないだろうけど。


2011.4.29 retouched