劇団あるといる・市川のブログ。 -16ページ目

劇団あるといる・市川のブログ。

劇団あるといる・市川のブログです。
日々のことや公演情報を掲載していきます。

白と黒。


映画「ブラックスワン」を見る。

まるで悪夢のような映画で、映画の作りもまさにそのように。


まず最初から、主人公(ナタリー・ポートマン)に幻覚見えちゃってる。

イカれた人しか出てこないという。しかしそれさえも主人公の妄想かもしれないという……。


イカれた人には、周囲の人もイカれた人に見えてしまうのか。


一言で言うなら「君には白鳥のイメージしかない」と言われてしまった主人公が無理をして黒鳥を演じるために、堕ちていく話である。



う~む、見ている最中、作品と全然関係ないことを考えてしまう……。


そもそも人の暗さを演じきるために、実生活で手っ取り早く落ちることを要するのなら、その後でわざわざ演じる必要なんてどこにもないじゃん。


物語を作る側、演じる側にとっては、いろんな世界があり、いろんな役柄があり、現実にそういった状況に陥った場合のシュミレートするような意味合いが少なからずあるけれども、


人の暗部を描くための作品作り、役作りの段階で、すでに堕ちて当事者になったのなら、わざわざ当事者になった後でフィクションを演じる意味ないじゃん。


実人生で試しちゃったわけだし。試せる人なわけだし。ずっと針の振り切れた感じでその後も試していけばいいじゃん。フィクションの世界に戻って来なくていいじゃん。


でも、ありそうな話だ。

境界線なんだかを越えるために、ちょいと麻薬に手を出したり出させたり。

エロスを表現させるため、誰かと寝たり寝させたり。

その他いろいろ。


いや、ある話だ。
映画の中では妄想なのか現実なのか判別できない微妙な描かれ方してはいるが、現実として。


この時点において作品をつくる意味も大方失っている気がしないでもないのだが、それでもその後に作り手、演じ手が作品を作ろうとする意味合いがあるとすれば何だろうな。


見る側に同意を求める方向に行くのか。
しかし、それは嫌な同意の求め方だな。


こういうのって意外にセンセーショナリズムを獲得してヒットしたりするんだろうな。当事者がまさに演じるわけだから。噂が噂を呼んで。

「迫真の演技」「渾身の役作り」「とても演技とは思えない!」とか。



だけど、ま、そういうアプローチをするなら、ドキュメンタリーでいいんじゃないかな、とも思うのだ。

私、これから堕ちていきます。こうして堕ちました。堕ちた後にこうなりました。

その方が当事者になってから作るフィクションよりよっぽど面白いと思うし、当人にとってもずっと意味がある。


ま、私はそんなもの見ないわけだけど。


どうにも煮え切らないんだな。私には。
堕ちていく人間が、周囲に同意を求めながら堕ちていくというのが。
誰かが見てくれているということを前提に堕ちていくというのが。


堕ちる時は、わき目もふらずに堕ちていけばいい。

迷いなく堕ちていけばいい。

周囲に「あんたもそうなんだろ」なんて同意なんて求めることなく堕ちていけばいい。

すがすがしく堕ちていけばいい。もっと幸せそうな顔して。


それができないのは、要するに寂しいからだ。寂しくてたまらないからなんだろうな。

たったその一言が言えず認められず、ずいぶん遠回りしたり、
あるいは長いこと堕ちるか堕ちないかの入り口付近を、事情も知らないような誰かの手を引っぱって出たり入ったり。


言うなれば、人によって形こそいろいろあるけれども、それは、

誰かの手につながれていないと、プールにつかれない子供と本質はたいして変わらない。

誰かに見ててもらえないと、遠くに行けない子供と本質はたいして変わらない。


そういうのって見る前から非情に面倒くさい。

そんな寂しがり屋につきあってる暇はねぇし、払う金も一円もねぇ。

つけあがるし勘違いするから、そういう奴は金を払うと。


というわけで全然関係ないことばかり考えてしまい映画の感想にならず。





2012.1.9 polished
2013.7.1 polished