誰かに見られる、ということを初めておぼえたのは
おそらく親が相手の時だ
そっちに行ったら危ないよ
その度、手を引かれ、抱かれては、連れ戻された私がいて
物を作ることが誰かに見せることを前提としているのなら
それは親(誰か)に見られていないと遠くに行けない子供のようなもの
それは親(誰か)に手を引かれていないとプールにつかれない子供のようなもの
それさえ根底に置いておくのなら
おのれの身を持ちくずすほどに不慣れなことや
ひと気をひくためのあれこれと不自然なこと
これみよがしに堕ちて行くこと
物づくりのためにわざわざ自分からしなくなるだろうか
それでいいのかもしれない
所詮、その範囲で
いや、その範囲の中だからこそ
いろいろと見抜かれてしまう、親(誰か)のため
2011.6.11 wednesday retouched