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【情緒】ヌイグルミに怨念がおんねん【不安定】

これを読んで気分を害しても、一切責任はとれませんのであしからず。
注意:タイトルは予告なく変更することが多々あります。

日常生活ままならず。急遽に帰省。
荷造り適当。つか、頭が働かない。吐き気と頭痛は不眠とタマニワ関係。
衣類や書籍は郵送。貴重品とPCは手持ち。でもそれも何時間もかかって、朝日をみて。
急遽の通院したり、リバースしたり、実家に戻ると、凄く安心。

自立支援関係と薬残量で5月末までには戻らないとやけど、入院よりいい。

あっと、乗りでエントリしたSSS→すっげぇショートストーリ。私、書けるのかなあ。読む専門だし。
けど、昔から創作には興味あった。第二の人生や目標というか、生きてる意味を感じられるかな。
死にたいとか消えたいとか漠然とした衝動を文字にしたら、傷が薄くなるのかな。

まずは、吐かないように、そこそこ動けるように。
あと、死後の世界に理想を求めないレベルになれれば。
きついっす。

頭の中が煩いです。
家電量販店に行って、テレビコーナーで、様々なチャンネルが大音量でかかってるような。
そして、店員が次々寄って来るような。
さらには、アリスのいかれ帽子屋と眠りネズミのお茶会に参加させられているような。

眠気らしきものはあるのだけれど、実際にはすぐ目が冴える。
眠剤飲んでも、記憶が不明瞭になる程度。
食欲らしきものがあるのは救いだが、食事量がわからない。


当然、家事など出来るはずもなく。
何故なら、事の順序だてと行程記憶が働かない。
常に現実感がなくて、そのうちには幻覚が出そう。


こまった。
おひさし。
風邪です。
メンタル逝ってる時に、やられたね。


ずっと低空飛行。
寝る前はいつも、頭の中がテレビ売り場。
時には、それにアリスのお茶会が加わる。

熱が出ると、それが酷く。
頭痛が先か、そっちが先か、とりあえずで、頭痛と幻聴。

音に敏感。光に過敏感。
耐えきれず、独り部屋に避難中。


この土地では、余震が届かない、らしい。
現実感がないのは、それもある。
でも、事実。



急に親戚が消えて、いっきに友人が複数消えて、じわじわ知り合いが消えていく。
ちょっと考えれば当たり前なのだけど、出会えばそれだけ消えていく。
いや、消えたことを知る立場になる。
それなのになぜ、自分から情報遮断しないのかな。
またのお久し、あるちです。
こんばんは。


なぜか私のブログを読んでくださっている方で、
今、ちょっと落ち込みの方は、
流してくださいね。



私は年賀は住所とコメントを手書きするのですが、
今回、それが幸か不幸か、安否確認に活用されました。
メールや電話は回線混乱を避けるためにも、
今日辺りまで我慢していました。
テレビ酔いするけれど、一応見ていました。
阪神震災のフラバで、不眠や動悸やウツにも。

通信制のスクーリングで知り合った方で、被災地辺りに住んでいた人生の先輩。
わかっただけで4人、プラスその家族が亡くなりました。

年賀を書いてから3ヶ月。
やるせないです。
実感がわきません。
現実感はいつもありませんが、それ以上です。

あと2名は電話もメールが宛先不明。
携帯が壊れただけ、なら。

ツイッターでは、今日になって、連絡とれた方がいました。うれしかったです。

家族は関西方面で一応は無事ですが、別の病が発見されて、
そちらも気になります。


そしてすべての人。
私のように、心に傷を残さないか気がかりです。
泣きたいときは泣いて、辛いときは辛いと認めなければ、
ダム崩壊してしまいます。

サバイバーギルトに追い込まれないためにも、
食う寝る遊び心で。


どこかの偉そうな人が、天罰と発言したとか、
どこかの報道の人が、本音を漏らしたとか、
もう怒りはないです。

正直、怒る元気もないので、
呪いと蔑みを送ります。

けれど、
にんげんだもの。みつを。

人を呪わば穴二つ。言葉はいずれ巡ってきます。

自分を責めるのは、他の人が勝手にしてくれるので、
不謹慎だけど、不謹慎という言葉に飽きてもいいんですよ。
はめをはずさない程度にね。
ひさしいです。
落ち込みモードです。
あるちです。


例の日です。

これを書いている3月5日は父の命日です。
もう4年が過ぎましたが、最近泣けるようになりました。

私は関西から、大学進学で北海道に、そして北海道で就職しました。兄弟含め、大学院も出してもらった私が就職先の研修に出てる2006年3月には、入院していたそうです。そして、4月には危篤に。
私は自分の体調もよくないことから、会社を辞め帰省しました。
父は風邪をひいただけと言いつつも、見るからに痩せて。でも、私は楽観していました。そして翌年の3月までは徐々に快方に向いていました。
その後、今度は自身の体調悪化で主治医のいる北海道に戻りました。
実際、数日前のメールには、一時帰宅できました長いトンネルを抜けた気分ですありがとう、となれない文章が届きました。
そして、3月5日に、母からメール電話の履歴が沢山ありました。当時、別の仕事で携帯を持ち込めずに、上司から緊急連絡が来たのは16時頃。
彼氏に車を飛ばしてもらって空港。キャンセル待ちで一番早く戻れる便に滑り込み、21時には父の前に。
父はもう意識がほぼなく、しかし高熱で息が荒く。22時56分に、声を聞くことなく、なくなりました。

高熱だったこともあり、長らく暖かい父は亡くなった様に思えませんでした。

そして、私は現実感がないどころか、羨ましく思いました。当時の私も死にたい気持ちが強かったので。だから、全く泣けなかったのです。父が入院し危篤を脱した頃の私は自殺未遂をしていたので。

今でも、私が代わりに死ねればよかったと泣きます。間違ってるとはわかっていますが、今現在、ようやく泣けるようになって、それなんですよね。

子育て終わって、これからが夫婦の人生だったのに。
なぜ、普通に、悲しめないのでしょうね。