こんばんは。あるちです。
---------- キリトリ -----------
今日は、先日までの遅れを取り戻さんとばかりに動きました。
洗濯機を2回まわし、両手にいっぱいの買い物をして、
勢いに任せてレポートを3つ書き上げ、
専門書とは違う本を1冊読み終わりました。
明日が少し心配ですが。
- 篠原 一
- アウト・トゥ・ランチ
篠原一は、確か、僕が中学生の時に、
当時16歳かそこらでデビューした作家。
最年少で何かの賞を取ったらしく、
その事を大々的に煽った帯を付けたハードカバーを、
当時の僕にしたら珍しく、衝動買いした。
そして、その『誰がこまどり殺したの 』に対して、
不思議な世界観を持った文章に、惹かれた事を覚えている。
市立の図書館に、専門書を借りるついでに、
ふと篠原一の事を思い出し、
上記の本を見つけ、借りてきたものの、
レポート作成に時間を取られ、今日まで手を付けられなかった。
一気に読み終われるだけの、
読み手を引き付ける文章力を、彼女は持っている。
それが、僕にはとても羨ましい。
彼女の作品には、
どこか精神的に病んでしまっているような一般の人が出てくる。
自然と不自然な行動を取る彼らを、
読者は気になってしまい、作品に引き込まれる、と云った具合。
---------- 谷折 -----------
『リストカットの多くは<たすけて欲しい>
あるいは<愛して欲しい>というシグナルである。
それはわかっている。
だから、妻にはどうしようもない餓えがあった、
と言う事もできるだろう。
それを私が埋めてやれたかどうかは解らない。
彼女が自分と傷口の正解に私を引きずりこんだとして、
それで何かが変わったとは到底思えない。
けれど、
私が口の中に血の塊をもって生まれてきたのと同じように、
た愛も無いことをきっかけにして
自然に手首を切るものもいるのだと私は思っている。
それは生まれたものだから、どうしようもない。
体力が衰えてきて、手首に刃物を当てられなくなるのを
待つしかない。
人間は考える葦だと言ったパスカルは
「人間jは独りでは不完全な、あるものである。
幸福になるには、第二人者を見つけなければならない」
とも書いている。
はじまりはもう問題ではない。
今必要なのは、
あらゆるひとに呼びかければこたえてくれる相手がいる
ことである。
篠原一
---------- 山折 -----------
結局の所、
彼らが何故、母親を殺したのか、殺そうとしたのか、
あるいは、
彼らが何故、死体に魅力を感じたのか、
それは彼らにしか解りかねるところでは在る。
しかし、
生きる事は、何かを犠牲にしての結果であり、
生きる事は、誰かと『共に』過ごすことであることには、
変わりが無いように僕は感じずには居られない。
死にたい訳じゃない、
ただ、殺したいだけなのだ、と。
それが、自分に向くか、自分以外に向くか、の違い。