尊敬!!!
私、母が周りのママたちのようなパートタイムや、時々短期のバイトしたり、専業主婦だったり、そんな家庭がいつも羨ましくて、天気の悪い日は車で迎えに来てくれて、試合の応援も来てくれたり。
バリキャリの母は多趣味で器用だけど、それを発揮する場はいつも職場のイベント。私の家で発揮する時間なんて無かった。ずっと寂しかった。でも、母が仕事を通して、お金で愛を家族に与え続けていることも知っていたから何も言えなかった。反抗もしたことが殆ど無い。
私の家は、みんなそこそこいい子に育ったし。多分母の忙しいながらも短時間でも、美味しいものを作っておくとか、例えば門限を守るように厳しく言うとか。そういったことでキチンと愛情が伝わっているからですよね。

こんな刺繍とか、私も母に憧れて刺繍習ったりしたけど。母にはチョロイみたい(笑)。
でも私がしてもらったことは殆ど無いけど。
退職して一年。
62の母。
先日誕生日でした。
孫に、その母力の高さを存分に発揮していて、すごく楽しそうです。
私は、バリキャリの母が格好よくて憧れてもいたけどそんな風になりたいとは思えなかった。やっぱり家族との時間をもっと持てる母になりたかった。
でもどっかで 母には私みたいなのは、ダメなやつにみえるんだろうなと思っていた。
でも、母は 本当はあいみたいに家で子供を見てあげたかったと言ってました。憧れると。
すごく驚きました。
2ヶ月で保育園に入れるのは辛かったこと、おっぱいがはる度子供たちは今ミルクの時間かなぁって考えてたって。
人の気持ちってわかんないんだよね。親とか兄弟は特に。近すぎて見えない。分かんなくなる。愛情が欲しすぎて、多分、ゆがんで見えてきちゃう。
とか思いました。
反省。
そして、どうしてもっと早く気がつけなかったのか。と寝る前に静かになるとかんがえてしまう。
私のせいだ、とぐるぐる同じ考えが巡る。
どうしたって早く気がつけなかった。仕方なかった。でも、あんな小さなもの何ともないと思うじゃないか。
インフルエンザも流行っていたから病院行きにくかったし。
すね全体に広がってもまだ日焼けとしか思わなかった。皮剥けて、初めてその下の皮膚が白いことに異変を感じた。
それでは遅かったのに。
あー!
こんなこと考えて凹んでも誰も得しない。
娘が明るく振る舞ってるのに。
私が泣いててはいかん。
授乳時間があくようになると余裕から、また長女の膠原病のこと、一年前の発症時のことを考えて、夜中一人で泣いてグルグル頭痛が悪化しそうだ。
ていう。同じ季節が来るたびに思い出すのかもしれないな。
まだ足が柔らかくて、階段も一人で降りることができた娘の姿。
でも、前に進もう。今はちゃんと輝いてるんだから。生きてるだけで、ありがたい。
笑ってくれる、歌ってくれる。
同じ病室だった難病の子たちのママを思い出して。娘の歌をいつも喜んでくれて、可愛いねって、癒やされるわって言ってくれたママのことを思い出そう。
私もあんなふうに前を向いて行くんだ
諦めたらそこで試合終了ですよ。