あるる☆一家のカタチ~完全にひとりごと~ -30ページ目

私の父~7~

2021年8月24日


帰っても食べる気になれなくて、先にお風呂に入た。

7時頃、私のスマホに病院から電話。




脈が弱いのですぐ来られますか?




母を乗せていきました。

でも、ついたときには、もうモニターかピーっとなっていました。



19時28分   永眠    享年67歳



ほんとよくがんばりました。

看護師さんに気を遣って、自分のことはあとまわしでいいと言っていたそうです。

八つ当たりすることもなかったと。

亡くなる三日前まで自分でトイレにも行っていたそうで、本当にすごいです。


当たり前にそこにいると思っている人が亡くなる、、、心の準備をしていたはずなのに、できてなかった。


でも、痛みから苦しみから解放された父を見てホッとしてる自分もいました。


ただ、泣いてる暇はなく、葬儀会社の手配、父の兄弟、親戚に知らせる、仕事の調整など慌ただしく時間が過ぎていきました。



一番その日つらかったのは、父が亡くなったこと。

でも、まだ、私の大事な任務は終わってません。

私の子どもたちに伝えること。


家に帰ったのが22時半頃。


父が死んだとは言えなくて。


眠った、、、ずっと目覚めない、、、


と言った気がします。



息子は布団にもぐりこんでしまいました。


娘はなかなか眠れずにいました。


おじいちゃんはずっと見てくれているからね。



私の父~6~

2021年8月24日


仕事が、終わってから父に会いに行った。


呼吸がしずらそうで、部屋も詰所の近くになっていた。



でも、私だということは分かっていた。


家族に電話つないだときには、あーーー  とひっしで声を出していた。



ずっと苦しそうだから手を握り、しゃべり続ける私。



時間も遅くなってくるし、また明日ねというと、首をふる父。何回もそのやりとりを繰り返した。


いたいと言っているような気もしていたので、薬をいれてもらえないか頼んでみた。


そしたら薬をいれてくれることになり、薬をいれるのを見届けて家に帰ることにした。


それが18時前だった。



私の父~5~

2021年8月22日。


夕方、病院からの電話で、余命数週間と言われた父。

面会が許されました。

翌日会いに行くことにしました。面会が許されたとはいえ、1人だけです。



2021年8月23日


仕事が、終わってから会いに行きました。

私は会えることがうれしかった。


でも、想像以上に状態が悪かった。


腫瘍のコブも増えている。


母には入院が長かったため、荷物を持って帰ってきてほしいと言われていたので、寝ている間に片付けてました。


面会も15分と言われていましたが、その日は長くてもいいと病院側から言ってもらえました。


ガサガサしてたら眠れないようで、起きて、いろいろ要求してきた父。腫瘍に圧迫されて言葉が出ずらいなか、懸命にしゃべってくれた。体を起こすよう要求もしてきた。


何も飲めないと看護師さんは言っていたけど、少し飲んでくれた。



まだこの日はあと1週間くらいは生きれるんじゃないかと思った。1時間ちょっとくらいの滞在で帰った。



帰るとき、父にまた明日仕事終わってから来るよと言ったら手をあげてくれた。