【過去】産後9日、火葬の日 | 40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

上の子たちとは歳の差がある第3子。
1度目は後期流産でしたが、次は絶対に健康体で出会う!

10代のころから、備忘録がわりに書いてたブログ。
敢えてその続きに40代の日常を綴ることにしました。

過去はアメンバー限定記事(個人メモなので募集なし)多めです。

このカテゴリでは、第3子と一旦お別れしてしまった出来事を振り返ります。

また会えることを信じて。

※静かなお産に関する記述が出てきますので、続きの閲覧はご注意いただければと思います。

 

 

晴れ男

2023年12月10日産後9日

お父さんとお母さんは、

自転車で斎場に行きました。

 

我が家では、

移動は基本的に自転車です。

 

自転車移動で一番困るのは、

傘

 

でもね、

3ちゃんを妊娠してからの

外出では、

 

一度も雨に降られたことが

なかった。

 

この日も快晴でした晴れ

 

「3ちゃんは晴れ男だね」

 

とお父さんとお話ししましたよ。

 

天気はとても良くて

気持ち良い日でしたが、

 

「もうここへは絶対に来ない」

 

と心の中で誓いながら、

斎場に入りました。

 

 

斎場

小さい子供を火葬するのは、

その火葬場の朝いちばんなのだそう。

 

炉の温度が上昇しすぎてしまうと

何も残らないから…とのこと。

 

それで、この朝いちばんの枠が、

ずーっと埋まっていたのです。

 

だから産後9日目にしてやっと

3ちゃんの順番が回ってきました。

 

それだけ幼くしてなくなる子が

多いと言うことなのですね…。

 

何と悲しい現実なのかと…。

 

胸が苦しくなりました。

 

斎場に着いてお父さんと2人、

待っていました。

 

すると、

小さな小さなお棺を抱えた

女性がやってきました。

 

前に病院で打ち合わせた方では

なかったです。

 

でも、

 

「あ、3ちゃんだ」

 

と分かりました。

 

丁寧に布にくるんでくださっていて、

本当にホッとしました。

 

女性に声をかけ、ご挨拶。

 

…………………………

 

会場にいた他のご家族からは、

 

「小さくてかわいそうに」

 

って思われてるのかなとか

少しだけ気になったけれど、

 

皆さんそれぞれ大切な人を亡くして、

そんなこと気にしてるわけないかと

思いました。

 

私が今の立場ではなかったら、

その小さな小さな箱が

お棺だとも気づかなかった

かもしれない。

 

 

お父さんが選んだお棺

そうだそうだ、お棺はね、

お父さんが選びました。

 

病院で入院中に購入できましたが、

葬儀屋さん経由で購入の方や、

ご自身で手配という方もいるようです。

 

3ちゃんが

病院で手配いただいたのは、

ご参考までに、

エンゼルボックスというものです↓

 

エンゼルボックス2052585

 

 

 

紙製ですが、とても頑丈でした。

 

お布団もセットになっており、

端っこがレースのように

なっていました。

 

なので、

冷たい感じを受けなかった。

 

3ちゃんは一番小さいお棺に

入る大きさだったけれど、

 

お父さんが、

もう1つ大きいのにしたんです。

 

なぜかと言うと、

産院の方が作ってくださった、

3ちゃん専用のベッドが

小さいお棺には入らないから…。

 

3ちゃんは、小さすぎたので、

生まれてからずっと、

そのかわいいかわいいベッドで

過ごしていました。

 

だから、そのベッドに乗って

天国に行けるようにね、って

大きいサイズにしました。

 

 

再会と火葬

もう泣くまいと思っていたのに、

お棺の蓋をあけ、

3ちゃんと対面したら

また涙があふれてあふれて

しょうがなかった。

 

産後9日も経って、

水分が抜けてしまった我が子の

ご遺体。

 

それでも、すごくかわいかった。

 

すごく愛しかった。

 

3ちゃんにお母さんの涙が落ちた。

 

3ちゃん、よく覚えておいてね。

 

次は嬉し涙だよ。

 

また戻ってきてね。

 

最後に抱っこしてお別れ。

 

3ちゃん、本当にありがとう。

 

また会おうね、約束だよ。

 

 

事務手続き

いつもいつも、

悲しみの合間に割って入る

事務手続き。

 

仕方ないことではあるけれども。

 

本日の精算と、

埋火葬許可証などについて

話をされる。

 

我が家は手元供養なので、

埋葬はあまり関係ないが、

 

埋火葬許可証は再発行が難しいので

大切に保管してくださいと

言われた。

 

とりあえずそれは分かった…。

 

 

収骨

鍵番号と炉の番号の一致を

事務的に確認され、

 

炉の扉が開く。

 

大人の火葬とはまったく違った。

 

お母さんが、

荷物を置くために

一瞬目を離したすきに、

 

炉の扉が開いて、

 

すぐその方向を見つめたけど

 

何もなかった

(ように見えた)よ…。

 

近寄って見たかったけれど、

すぐに職員さんが、

 

丁寧な所作ではあったけど、

小さいほうきで、

 

灰と小さな小さな骨のかけらを

集め始めてしまっていた。

 

きっと、お骨の位置などはもう

分からなかったんだろうけれど、

 

それでも悲しかった…。

 

そして、そのほうきに、

「DUSTER」って書いてあって

チリやホコリを連想してしまって、

 

すごく悲しかった…。

 

そうして、

ちりとりのようなものに

集められた灰とお骨…。

 

お父さんとお母さんは、

心を込めて、

箸で骨壺に入れたよ!

 

骨壺はとても小さくて、

ここに入り切る量なのかと

悲しくなったが、

 

実際入れてみると、

それでもまだ大半が余白だった。

 

でもね。

13週の小さな体。

 

お骨が少しでも残っただけ、

ありがたいと思ったよ。

 

骨壺は入れ物に入れられ、

お父さんとお母さんで

紐を綴じました。

 

大事に大事に一緒に家に帰りました。

 

 

死産・火葬・供養という言葉

「胎児水腫」

という言葉でネット検索すると、

 

死産・火葬・供養などの言葉に高確率で遭遇してしまう。
最初はその言葉を見かけただけで、卒倒しそうになり、見ないようにしていたのだけど、

徐々に心が覚悟をしていった。

 

お母さんに

そんなこと、

乗り越えられるのだろうかと、

悲しみと不安で

いっぱいだったけれど、

 

「出来事」としては、

何とか乗り越えることはできた。

 

今もまだ悲しい。

 

でもこの悲しみは、

乗り越えなくていい。

 

今後の人生、

じっくりと

向き合っていくものだと

思っている。

 

3ちゃん、

また会おうね。

 

お姉ちゃんが

3ちゃん宛に書いた手紙、

 

内容は教えてくれなかったけど、

 

「住所を書いたから、

 また戻ってきてくれる」

 

って言っていました。

 

泣きました。

 

 

この日、

家族旅行の計画を立てました。

 

火葬の日に…という思いも

あったけれど、

 

少しでも家族の思い出を増やそうと

思ったんだ。

 

もちろん、

3ちゃんも

一緒に行くんだよ晴れ