【過去】誕生の日① | 40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

上の子たちとは歳の差がある第3子。
1度目は後期流産でしたが、次は絶対に健康体で出会う!

10代のころから、備忘録がわりに書いてたブログ。
敢えてその続きに40代の日常を綴ることにしました。

過去はアメンバー限定記事(個人メモなので募集なし)多めです。

このカテゴリでは、第3子と一旦お別れしてしまった出来事を振り返ります。

また会えることを信じて。

※静かなお産に関する記述が出てきますので、続きの閲覧はご注意いただければと思います。

 

 

麻酔切れ

痛みが怖いのもあったけれど、

 

痛くて泣いているのか、

悲しくて泣いているのか、

分からなくなりたくなくて、

 

無痛分娩を選んだ。

 

11月30日(木)入院当日15時から、

麻酔の管を入れ、バルーンを入れる

処置をした。

 

特に痛くなかったけれど、

この処置の間中、

ずっと涙が止まらなかった。


助産師さんが

ティッシュを渡してくださったり、

ずっと手を握っていてくれた。

 

ふと、

 

「もしコロナ禍だったら、

 こんな密なケアや、

 夫の立ち合い許可も

 していただけなかったかも」

 

と思った。

 

コロナ禍で、こういう辛い思いを

された方がいらっしゃったとすれば、

よりお辛かっただろうと

思いました悲しい

 

…………………………

 

12月1日(金)13週2日

になりたての夜中…。

 

病室で

うとうとしようとしていると

麻酔が一時的に切れ起きる、

うとうと、

痛くて起きる、

うとうと、

痛くて起きる、

を何度も繰り返したので、

 

出産のためにはしっかり睡眠を

取らないといけないと思い、

 

意を決してナースコール。

 

そしたら、分娩室に運ばれた。

 

てっきり、痛み止めの薬とかが

処方されると思っていたけれど、

 

「痛み止めもいいけど、

 もう麻酔の管入ってるから、

 分娩室行きます?

 どうします?」

 

と言われた。

 

この時の助産師さんは

頼りなかった…💦

 

何が一番適切なのか、

医療機関側で

判断してほしかったかな。

 

他にも、

薬を持ってきますと言って忘れたり、

水を持ってきますと言って忘れたり、

色々忘れられた。

 

この方が分娩のときご担当だったら

正直怖いなと思ってしまったくらい。

 

途中で替わっていただいたので

安心してしまった。

 

(でも良い方ではありました!)

 

 

分娩台へ

結局、分娩室に行き、

そこで夜中の続きから

過ごすことになった。

 

12月1日(土)9:00から分娩開始の

ところを、8:30から処置開始。

 

お父さんも9:00頃には

病院に来てくれたよ。

 

かなりお疲れのようだった。

 

1~2時間おきに先生が

見に来てくださる。

 

かなり手厚い。

 

薬は最大5回まで入れるとのこと。

 

でも私の場合は3回目くらいで

出てきてくれるのでは

という説明を聞いた。

 

そして、午後の早めの時間、

お兄ちゃんとお姉ちゃんの誕生日に

縁のある数字の並びの時刻、

 

優しく優しく、

生まれてきてくれたふんわりウイング

 

分娩台の隣には、

新生児を取り上げた後に

寝かせる台があったが、

使われることはなかった。