【過去】入院の日③ | 40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

上の子たちとは歳の差がある第3子。
1度目は後期流産でしたが、次は絶対に健康体で出会う!

10代のころから、備忘録がわりに書いてたブログ。
敢えてその続きに40代の日常を綴ることにしました。

過去はアメンバー限定記事(個人メモなので募集なし)多めです。

このカテゴリでは、第3子と一旦お別れしてしまった出来事を振り返ります。

また会えることを信じて。

※静かなお産に関する記述が出てきますので、続きの閲覧はご注意いただければと思います。

 


ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん

この日、病室で、

ひいおじいちゃんのおうちの

においがしたよ。

 

今までの人生で、

ひいおじいちゃんの家でしか

かいだことのない種類のにおい。

 

お母さんね、鼻だけはとても良く、

これは確実にひいおじいちゃん・

ひいおばあちゃんちのにおいだと

分かったよ。

 

3ちゃんを

迎えに来てくれたんだなと思ったよ。

 

 

分娩準備

分娩は無痛で行うことにした。

 

お兄ちゃんの出産のとき、

本気で死にかけて、

お姉ちゃんの出産のときは、

無痛分娩にした。

 

だから今回も24時間無痛分娩が

できる病院を選んでいたが、

 

こんなときにも無痛でできるとは…。

 

もちろん別料金だが、

お父さんは

 

「無痛にしなさい」

 

と言ってくれた。

 

痛みが怖いのもあったけれど、

痛くて泣いているのか、

悲しくて泣いているのか、

分からなくなりたくなくて、

無痛分娩を選んだ。

 

左手は点滴をして、

右手は定期的な血圧チェック。

 

管につながれ不自由。

 

3ちゃんも

もし生まれられていても

毎日亡くなるまでこんな生活

だったのかなと考える。

 

それでも良かった?

いや、苦しむと言われただろう…。

 

何が良かったのだろう。

何が良かったのだろう。

何が良かったのだろう。

何が良かったのだろう。

何が良かったのだろう。

 

思考がぐるぐるぐるぐる。

 

…………………………

 

そして、

背中に麻酔の管を入れていく。

痛みはほぼなかった。

 

この処置の間中、

ただただ悲しみの涙が

こぼれた。

 

確かこの時に

子宮口を広げる、

バルーンというものも

入れたのだったと思う。

 

3ちゃんの鼓動が

いつ絶えてしまうのか、

私は聞きたくなかったが、

一方的に言われるのかなと

気が気じゃなかった。

 

「言わないでください」

 

と言おうかと思った。

 

でも結局言われることはなかった。

 

12月1日(土)、

何か薬を入れると言っていたが、

おそらくその時なのかなと思う。

 

でも何も分からないことにした。

何も分からない。

 

あまりに辛すぎる事実…。

自分の心を守った…。